『幸福なラザロ』映画レビュー(感想)

『幸福なラザロ』を見て最初に思い出したのは、宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」だ。

青年ラザロに村の人々は「ラザロ、これを運べ」、「ラザロ、これをトラックに乗せろ」、「ラザロ、おばあさんの世話をしろ」と、様々なことを命令するが、ラザロは、淡々と言われたとおりにする。余計なことは決してしゃべらず、することもない。

目立たず、自分を主張することもなく、押しつけがましくない思いやりを見せつつ、純粋な目と頑健な身体で、静かに立ち働く。そのラザロの姿には、涼風が吹き抜けるような気分やちょっとした心の強さを与えてくれるような力がある。

周囲から隔絶されたイタリアの寒村のタバコ農園。ラザロはそこで働く人々の一員だ。彼らは、デ・ルーナ侯爵夫人の小作人として、現金収入を得ることなく搾取されているのだが、それを知らない。ちなみに小作人制度は80年代に廃止されている。

彼らは、日々の物資にも事欠く生活をしながら、世の中が変わってきていることも知らず、昔と変わらない同じ日が永遠に続いていくと信じて生活している。

デ・ルーナ侯爵夫人の息子タンクレディが、ラザロを巻き込み、退屈しのぎで狂言誘拐事件を企てたことから事態は一変する。村の人々は外の広い世界に一歩踏み出すことになるが、そこにラザロの姿はなかった。

第二幕では、都市の生活が描かれる。一幕目の自然にあふれた生活とは対照的な、別な意味での無機質で過酷な環境が広がっている。それは私たちには当たり前の風景でもある。その厳しさをわたしはどれだけ自覚しているのだろう。

『幸福なラザロ』のストーリーは寓話的で、イエス・キリストが死の四日目に復活させた、ヨハネの福音書に登場するラザロの物語をモチーフにしている。だがその語り口はシビアなリアリズムに溢れている。往年の名匠ヴィスコンティのネオ・リアリスモ風味なのは、最初のシーンから明らかだ。

寓話とリアリズムの二重構造だけでなく、田舎と都会、日常と非日常、見えるものや見えないものなどの二重構造が、いくつもの対比として浮かび上がり、余韻を与え効果を上げている。

監督のアリーチェ・ロルヴァケルは30代の若手ながら、前作の『夏をゆく人々』(2014)ではカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、『幸福なラザロ』は2018年同映画祭の脚本賞を受賞した。すでに巨匠の趣がある。

善き人でありたいという思いは、私たち多くの共通の願いだと思う。地球のどこかにたくさんのラザロがいることに勇気を与えられ、私たちの内部にもひっそりとラザロが存在していることを思い出させてくれる映画でもある。それに少しホッとさせられる。

(オライカート昌子)

幸福なラザロ 映画情報

(c)2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions ・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera ・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE

2018年 イタリア映画/127分/監督:アリーチェ・ロルヴァケル
出演:アドリアーノ・タルディオーロ(ラザロ)、アニェーゼ・グラツィアーニ
(アントニア)、ルカ・チコヴァーニ(タンクレディ
)、アルバ・ロルヴァケル、トンマーゾ・ラーニョ、セルジ・ロペス、ナタリーノ・バラッソ、ニコレッタ・ブラスキ
配給;キノフィルムズ
2019年4月19日(金)よりBunkamuraル・シネマ他全国順次ロードショー
公式サイト http://lazzaro.jp/