『墓泥棒と失われた女神』映画レビュー 生と死と、遥かな過去への旅に誘われる

『幸福なラザロ』は、多くの人を魅了した不思議で美しい作品だった。『墓泥棒と失われた女神』で主人公のアーサーを演じた英国人若手俳優のジョシュ・オコナーも、『幸福なラザロ』に魅せられた一人だった。彼は、『幸福なラザロ』の監督、アリーチェ・ロルヴァケルに手紙を送り、それが縁で、本作の主演を勝ち取った。

ジョシュ・オコナー演じる、『墓泥棒と失われた女神』のアーサーも、ラザロに勝るとも劣らない忘れられないキャラクターだ。

『墓泥棒と失われた女神』の冒頭は、のどかなイタリアトスカーナ地方を走る列車の座席。アーサーは夢を見ている。夢の中では、魅惑的な笑顔の女性の顔に太陽の光が注いでいる。うたたねしているアーサーの顔にも太陽の光と影が踊っている。アーサーは、どこから来たのか、どこへ行くのか。何を求めているのか。

『墓泥棒と失われた女神』には、墓あらし(イタリア語でトンバローリ)が登場する。彼らが探索するのは、トスカーナ地方に点在している古代ローマに滅ぼされた古代エトルリア文明の貴族の墓だ。

アーサーは、墓のありかを探る特別な才能を持っている。仲間にもライバルにも重宝される存在だ。アーサーは、考古学愛好者で、墓あらしに特に積極的な様子も見えないけれど、探索をやめることができない。彼は生きることにすら意欲的ではない。食、家、服、金、そういう俗世のものを一切気にしていない。

その理由は、映画の中でははっきりと指摘されているわけではないけれど、推測することはできる。

そんな彼が、ひとりの女性に出会った。元婚約者の母フローラ(イザベラ・ロッセリーニ)の古びた屋敷で出会った彼女の名前は、イタリア(カロル・ドゥアルテ)。体よく屋敷の下働きに使われているが、歌を習いに来ている。イタリアはお茶目でまじめで、少し不器用。その飾り気のない姿は、生の女神のような活力を感じさせる。

イタリアの生のエネルギーと、墓を見つけるための原動力となる過去と死への探索心。アーサーは、その狭間でゆらぐ。そんな中、彼と仲間は、美しい女神像と出会う。

『墓泥棒と失われた女神』は、コメディ要素もあれば、ファンタジックで寓話的な風情もある。『幸福なラザロ』の元ネタが聖書だったとしたら、『墓泥棒と失われた女神』はギリシャ神話がベース。遥かな昔への旅に誘われる気分だ。

思い出すたびに、静謐な憧れに似た独特の残り香を味合わせてくれるアリーチェ・ロルヴァケル監督作品は見逃せない。

(オライカート昌子)

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『幸福なラザロ』映画レビュー

墓泥棒と失われた女神
7月19日(金)Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
© 2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Cinéma
監督・脚本:アリーチェ・ロルヴァケル(『幸福なラザロ』『夏をゆく人々』)
出演:ジョシュ・オコナー、イザベラ・ロッセリーニ、アルバ・ロルヴァケル、カロル・ドゥアルテ、ヴィンチェンツォ・ネモラート2023年/イタリア・フランス・スイス/カラー/DCP/5.1ch/アメリカンビスタ/131分/原題:La Chimera
後援:イタリア文化会館 配給:ビターズ・エンド