『焼肉ドラゴン』映画対談

焼肉ドラゴンとは

『焼肉ドラゴン』は、演劇賞を総なめにした自身の舞台劇を鄭義信監督が自ら映画化した作品です。鄭義信監督は、脚本家として著名であり、劇作家としても成功を収めています。

『焼肉ドラゴン』は、井上真央、真木よう子、井上真央、大泉洋、桜庭ななみ、大谷亮平の日本人キャストに加え、キム・サンホ、イ・ジョンウンらの韓国人キャストも名を連ね、時代の流れに翻弄されながらも強く生きる家族の絆が描かれています。

1969年の高度経済成長期の伊丹空港近くの集落で焼肉屋を営む家族。美しい三人姉妹はそれぞれこじれ気味の男性関係に悩み、買ったはずの家は不法占拠と言われ、立ち退き勧告を受けています。戦争で徴用され、片腕を失っても父は日々焼肉を焼き、母は嬉しくて笑い、悲しくて笑う。そんな家族の物語について、内海陽子、オライカート昌子の二人が対談を行いました。

『焼肉ドラゴン』映画対談

『焼肉ドラゴン』を、長屋物として見た

オライカート:今回は『焼肉ドラゴン』です。なぜこの作品をご提案されたのか、理由をお聞かせいただけますか。

内海: 崔洋一監督はご存知ですか?

オライカート:『焼肉ドラゴン』の鄭義信監督が脚本を担当された『月はどっちに出ている』(1993)などを監督された方ですね。

内海:二人は監督と脚本家の名コンビと言われています。『月はどっちに出ている』だけでなく、『犬、走る DOG RASE』(1998)や『血と骨』(2004)も手がけています。猥雑な日本で生きている在日の人たちをときに面白おかしく、批評的に描く作品で、わたしは鄭義信を知ったわけです。在日韓国人を主人公にした『月はどっちに出ている』は当然ながら、そうでない作品でも、人間の軋轢というか、うごめき具合の描写がすごく巧みなのね。『刑務所の中』(2002)も面白いわ。崔洋一監督の作品では脚本家という以上にパートナーですね。そういうことで鄭義信の名前を覚えて、そこから彼の芝居も見るようになったんです。

オライカート:演劇も見に行かれたんですね。

内海:彼の作品がなぜ人気があるのか、賞をたくさんもらっているのか、それは彼が“日本人”だからなのよ。

オライカート:そうですよね。

内海:“在日韓国人”、“在日朝鮮人”を描く映画は多いんですが、彼は日本人なんですよ。今回も“関西人”ですよね。『焼肉ドラゴン』を、私は長屋物として見たのね。鄭義信の舞台を見て、一本一本が名作であるとか、傑作であるとかいう以前に、彼の情緒が好きなの。日本人であること、日本人になることってどういうことなのか、緊張感を持って生きざるを得なかったと思う。その緊張感が、ちゃんとした娯楽映画を作る底力になっている。ということを、今回あらためて痛感しました。今は、日本人であることがよくわからない、日本人であることをむやみに意識する必要もない時代でしょう。アメリカ人になりたい、ヨーロッパ人になりたい人、いるでしょ。日本映画を見ない映画好きとか。そういう人を見るにつけ、この在日韓国人のかたの日本人らしさに感銘を受けるの。

オライカート:彼にはよく見受けられるような被害者意識と言うものをまったく感じませんね。

内海:そういう情報ばかりが流されているということもある。

オライカート:この方の場合は、在日韓国人というのは、ひとつの情報であって、それ以前に彼の持つ素養や今まで受けてきた影響などを全部作品に込めているじゃないですか。

内海:素養や教養というより、生き物として生まれてきた場所がその人の国なわけでしょ。

オライカート:そうすると彼は日本に生まれているという意味で、日本人ですよね。

内海:わたしたちが、世の中にはアメリカ人もヨーロッパ人もアフリカ人もいるんだとか、世界は広くて、その中で自分は日本人なんだとわかるまで、時間がかかっているでしょう。そういう中で、わたしたちは世間やマスコミから流される情報によって勘違いして生きているのよね。

在日の人の場合、イデオロギーで語る人、表現する人も多いから、鄭義信の存在は目立っちゃうのね。つまり、日本人が彼の表現の仕方に参っちゃう、ということを私は感じるの。いじめられることにもならなかったとご本人はおっしゃっているけど、いじめられないというのは、やっぱり力があるのよね。いじめられるというのは、なにかハンデがあろうがなかろうが、やっぱりビクビクしている場合が多い。本人がごく普通の明朗さを持っていれば、いじめられないのよ。そういうことをいろいろ考えさせられる。

オライカート:そうですね。つまり、この作品を取り上げたかった理由と言うのは、この作品の中で描かれる人と人との軋轢が、内海さんの情緒に合い、長屋物として楽しかったということですね。

内海;昔、日本映画で東宝や松竹が描いていた長屋物の包容力のようなものを久々に思い出させる。つまり人間観。人を見る目がとても豊かでまっとうだと思ったの。

オライカート:それはすごく感じますね。

内海:そのことがとても大きい。在日の方々の苦しい歴史をちゃんと踏まえているにもかかわらず、誰かの観念に当てはめられて演じさせられているのではない。それぞれが、いろいろな矛盾を抱えながら、一人ひとりの人生を自分なりに生きていくしかないという風に感じさせられる。お父さん(キム・サンホ)とお母さん(イ・ジョンウン)がとっても素敵。子供はいろいろな考え方をして、失敗もするし、男と女の関係はぐちゃぐちゃになったりするけれど、お父さんとお母さんがちゃんとして、しっかり生きていれば、どう転ぼうと、なんとかなるだろうと思わせる。ラストシーンが大好きです。鄭義信が、お父さん、お母さんを好きなんだな、お父さん、お母さんを肯定していると思った。それがこの映画の最大の美点だと思う。お父さん、お母さんに捧げた映画。お父さん、お母さんを肯定することは、自分の出自を肯定するということ。さっぱりしていて、堂々としている。にごっていない感じ。

オライカート;そういうところはありますね。この映画の境地というのは、なかなか見当たらないですよね。日本映画にもないし、外国映画にもない。

内海:日本映画だけどね。

『焼肉ドラゴン』の洗練された空間

オライカート:なかなか他の映画にはない独特な感性を感じるんです。まず、演劇が下地になっています。そして映画自体もすごく演劇的な演出方法を取っている。

内海:私はあまりそう思わなかったけれど。

オライカート:ロケが二、三回しかでてこない。あとは全部舞台装置の上で起きている。

内海:そういう映画はたくさんあるわよ。密室物とか。

オライカート:密室物はそうですけど。この映画の場合は、下書きにした演劇をそのままにしているような気がします。監督も映画の監督は初ですよね。多分、この方法が一番いいやり方だと思ったから、わざとこういう方法を取ったと思う。CGは多用していますが、空間自体がとても閉じられていて、切り取られた空間の中で出来事が起きているというのを感じました。

内海:だから長屋物なの。ワンシチュエーションドラマ。映画はそもそも演劇から出発しているんだから。

オライカート;人間の出入りの方法もです。そこが、一番私が感じたところだったんです。

内海:演劇が下敷きになっていると知っているから、そう思うんじゃないの?

オライカート:人間の出入りが並列的でもあります。この人が出て行って、この人がやってくる。順番に。それぞれスポットライトは当たるけれど、描き方が並列的。それは悪い意味ではないですよ。特別な主人公はいない、群像劇でもあります。それぞれ、シーンごとにはスポットライトは当たりますが。そういう意味でクールなんですよ。描き方が。

内海;あなたの言う“クール”のニュアンスがよくわからないわ。

オライカート:洗練されている。俯瞰しているとも言い換えられます。ミクロ的にグーッとズームアップしていかない。だから描き方が、クールで泥臭くない。そこでは熱さを感じないんです。

内海:大泉洋が演じる優柔不断な男と、長女(真木よう子)、次女(井上真央)の三角関係はだいぶやっかいで暑苦しいけど。

オライカート:熱いですよね。でもあの場面だけじゃないですか。あの場面では、完全に大泉洋が映画を乗っ取って、彼の映画になっています。あの場面に関しては。

内海;三角関係は、ほかにもあるじゃないですか。桜庭ななみ演じる三女と、年上女房(根岸季衣)がいる男との愛憎関係も相当くどいわよ。

オライカート:そうなんですけど、まず、タイトルが、『焼肉ドラゴン』。この映画を見る前に、私が予想していたのは、すごくねばっこい映画だったわけです。トロっとした熱い感じがこもったタイトルで、しかも在日韓国人の映画で、大阪が舞台。1970年代のバラックが立ち並ぶ一角の長屋物。そういうイメージがあったわけです。

そうしたら、めちゃめちゃ洗練されていて、舞台としての人の配置や出入りのスマートさ。誰かは言いませんが人も死ぬ、男と女のスッタモンダもある。でも描き方が垢抜けている。つまり、ひとつ重い出来事が起きても、平然と淡々と次のシーンが来て、また脂ぎったものすごいことが起きても、また淡々と過ぎていく。そして最後のシーンには余韻があります。力が入っていない余裕を感じます。

これは何だろうって考えたんです。今日ずっと考えていて、この感覚というのは普通の映画ではなかなか感じられないんです。全然違う感じ。私の映画体験の中で考えれば考えるほど独特なんです。

普遍的な、故郷に戻りたいけれど戻れない話

で、今日プレスシートをもう一回読んでみて、韓国では、在日韓国人自体、あまり知られていなかったけれど、この作品は、故郷を失った話としてストレートに響いたと。韓国でも受けたのは、普遍的な、故郷に戻りたいけれど戻れない話として受け止められたのではないかと思います。そういう気持ちは誰にでもあります。たとえ、故郷に戻れるかもしれない。でも、私たちの知っている故郷と、今の故郷は違っているから、あのときの故郷には誰も戻れないではないですか。その体験がストレートに響く。

内海:それはあなた自身の生き方に刺さってくるということですか?

オライカート:そういう意味では、在日韓国人の、土着に満ちた苦労し続けた話以上のところまで行き着いていると思うんです。

内海:そこのところが評価されていると。

オライカート:苦労して、恨みもあり、何で私だけがこんな目にあわなくてはならないの? というようなものがまずない。お父さんにもお母さんにも、そういう気持ちはないわけではないけれど、淡々と描いている。

内海:私は淡々としているとは思えないけれど、あなたの感覚だから、受け止めますが。あなたのおっしゃる、垢抜けているというのは、やっぱり知性に収斂されていくのかなあ。

オライカート:そういう映画なんですよ。

内海:もしかすると、鄭義信の痛いところをあなたは突いたかもしれない。彼はやっぱり都会っ子なんですよ。崔洋一監督と組んだ『平成無責任一家 東京デラックス』(1995)という詐欺師一家の映画がありまして。この映画についてお二人に取材したとき「俺たちは、泥臭い映画にしたいんですよ」とおっしゃったのが印象に残った。「俺たち泥臭いんでね」と、こういうことを敢えて言うのは裏返しでね、実は、そもそも育ちがいいのよね。ある程度恵まれている。あなたは洗練されているというけれど、そのはにかみ具合というか、微妙な感覚が、私は好きなの。

オライカート:もちろんそうです。

両親を肯定するのは勇気がいること

内海:そのはにかみを私は面白がりたいところがある。彼らは虐げられていない。それは才能があって魅力的だからなのね。子供のころからなんとなくチャーミングで、日本社会で生きていくうえで、そんなにひどい目にあっていない。そのことがどこか恥ずかしい。だけど表現者としては、問題が立ちふさがるわけだし、それをあなたはクールだと言うし、私はそれをかわいいと思う。これからも私は見ていくし、みんながこの表現者、鄭義信に注目しているのは、嬉しいことだわ。

オライカート:この映画のことをずっと考えていて、思い出したのは、チェーホフのことでした。あまりドラマティックなことは起きず、家族の出たり入ったりが描かれている。周囲では大きなことが起きている。少しずつ家族もその大きなことに影響されていく。古い時代が終わって、新しい時代が始まるという感じが、そういうのが、映画にも影響していると思います。共通点があるなって。だいたい、三姉妹。なぜ三姉妹?って思う。

浮気したりされたり、昔からのこだわりで好きでたまらなくてという気持ちとか、あたりまえで、ごくごく普通の気持ちで、私たちにも覚えがあるような気持ちです。大きくドラマティックなこともなく、生々しくもない小市民的な世界。でも大きく見ると、その時代を表している。誰もがハッと思うような。この作品は、そこまで行っている。

内海:演劇人が鄭義信を評価するのは、あなたがおっしゃっているように、教養としてチェーホフに触れるとか、そういうのはあるかもしれないわね。

オライカート:チェーホフは嫌いな人はいないですもの。好きでたまらないですもの。だから似てるってすごく思う。

内海:三姉妹の血縁は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」風ですけど(笑)。

オライカート:大きな悲劇が起きるけど、それが何かをもたらしますか?

内海:この映画、わたしは、チェーホフではないなあと思う。

オライカート:それは好みの問題だから、私はベースが演劇でもあるし、読み解き方として感じたことです。本当にこそばゆく感じました。映画なのに演劇で、演劇なのに映画という。

内海:映画はそもそも演劇から生まれているから、演劇的な映画はたくさんあるし、純粋に映画的な映画というのは、どういうものかしらね。そのことを追究すると、映画の独立性について考えざるを得なくなるので、私はあまりそちらに行かないようにしているのです。芝居の場合は、お客さんの目は常にロングショットでしょ。映画と芝居の決定的な違いは、クローズアップがあるかないか。

で、アップにされるべき一番のヒロインが、真木よう子じゃないですか。リアリズムを求める気はないけれど、真木よう子は、くたびれたセーターを着るとか、髪型をもっとラフにしたほうが、彼女の立場と悲しみがにじみ出た気がするのね。なんか余裕があるように見えちゃうの。髪の毛がいつもきれいに膨らんで、ちゃんとセットしてある。それを見ていると、彼女が何を考えているのかわからない、あなたの本音はどこにあるの?と。 矛盾に満ちた女心が絵的にもう少しわかりやすくても良かったというのが、かなり強くありますね。三姉妹では、井上真央の次女が一番良かったと思うわ。

オライカート:彼女は良かったですね。ひとつ殻を破ったぐらい凄かった。でもこれは、リアリズムの映画ではないんですよ。

内海:人間のちょっとした自然さを求めているの。初監督ということで、細かなジャッジの段階で、少し甘かったのではないかと思います。まったく違和感を覚えないのは、お父さんとお母さんだけです。キム・サンホとイ・ジョンウンは本当に素晴らしい。試写室で見終えたとき、涙で立ち上がれない男性がいましたが、彼も二人に感動したんだと思うわ。もう一度繰り返しますが、お父さんお母さんを肯定している映画だと思います。両親を肯定するのは、勇気がいるんですよ。

内海陽子オライカート昌子)

『焼肉ドラゴン』作品情報

Ⓒ 2018「焼肉ドラゴン」製作委員会
6月22日(金)より、全国ロードショー
配給:KADOKAWA ファントム・フィルム
原作:戯曲「焼肉ドラゴン」(作:鄭 義信) 
脚本・監督:鄭 義信
出演:真木よう子 井上真央 大泉 洋
桜庭ななみ 大谷亮平 ハン・ドンギュ イム・ヒチョル 大江晋平 宇野祥平 根岸季衣 ほか

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