『嵐が丘』映画レビュー 過剰と節制で描く生と死のダンス

執着心。それには醜い顔があるけれど、芸術として純度を果てしなく上げれば話は別だ。純粋なものはそれだけで心をつかむ力がある。『嵐が丘』は純度の高い登場人物の執着する心が生んだ純愛のストーリーだ。

エミリー・ブロンテ原作の『嵐が丘』を『プロミシング・ヤング・ウーマン』でアカデミー賞®脚本賞を受賞したエメラルド・フェネル監督が現代的な解釈をほどこし、純粋な物語としてスクリーンに映し出した。現代的なのは、主人公キャサリンの姿だ。プロデューサーも兼ねるマーゴット・ロビーが演じるキャサリンは、素直に思いに突っ走る。その勢いとライブ感に心を奪われた。猛々しさと繊細な優美さを共存させているのは、『フランケンシュタイン』の新鋭ジェイコブ・エロルディ。

魅せるのは過剰と節制。シーンのあふれるばかりの豊かな舞台の美しさと醜さ。同時に少ない登場人物の心理の描き方は、徹底して絞り込む。それが純粋な物語として花開く理由だ。

『嵐が丘』で驚かされたのは、タイトル前の音の演出だ。度肝を抜かれた。これはなんの音? 思わせぶりでリアルな音だ。もしや、これは? と、なんとなくわかった気がしたところで映像がでる。その落差の大きさには、冷水を浴びたような衝撃があった。まさに生と死のダンスを見せられたように。

没落貴族の娘キャサリンは、父と話相手のネリーとだけの孤独な生活を送っていた。そんな折、父は孤児のヒースクリフを家に連れてくる。「おもちゃを持ってきた」と言いながら。幼少期より心を通わせ、特別の関係を築いたキャサリンとヒースクリフの壮絶な物語がエメラルド・フェネル版『嵐が丘』のあらすじだ。

彼らは限られた世界にいて、付き合う人も行く場所も限定されていて、それしかないと思い詰めたものを抱えて生きている。現代の社会と比べると、相当狭い世界に思われるけれど、広い世界に生きていると思っているわたしたちだって、思い詰めるほど大事なものを抱えて生きているの同じだ。

純度を高めれば見えてくる『嵐が丘』の世界との共通性。そういえば、エミリー・ブロンテは生涯ほとんど嵐が丘から出ることもなく、結婚することもなく、家族とだけ暮らしていた。世界が広くて付き合う人多いからと言って、孤独心は常にどこにでもある。そう思うと、ビクトリア朝時代に孤独な女性が書いた小説世界が私たちの地続きとして伝わってくる。

嵐が丘
2026年2月27日(金)全国ロードショー
配給:東和ピクチャーズ・東宝
©2026 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

■監督・脚本:エメラルド・フェネル(『プロミシング・ヤング・ウーマン』)
■出演:マーゴット・ロビー(『バービー』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』)ジェイコブ・エロルディ(『フランケンシュタイン』)、ホン・チャウ(『ダウンサイズ』)、オーウェン・クーパー(Netflix『アドレセンス』) 他
■プロダクションデザイン:スージー・デイヴィーズ(『教皇選挙』)
■衣装デザイン:ジャクリーヌ・デュラン(『バービー』『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』)
■撮影:リヌス・サンドグレン(『ラ・ラ・ランド』)
■音楽:チャーリーxcx