『幻滅』は、フランス19世紀に招き入れてくれる。華やかで、残酷な世界だ。現代と同じように。
主人公は、青年リュシアン(バンジャマン・ボワザン)。のどかな田舎で、印刷工として働き、時に詩を書く。リュシアンの極度なのし上がり人生が、文芸映画のずっしりとした品格で描かれる。
貴族の婦人ルイーズ(セシル・ドゥ・フランス)に連れられ、パリへ行くことになるが、待ち受けていたのは、うわべと金が、全てをコントロールする世界。うぶな田舎者として、社交界で笑いものにされた彼は、どん底の生活に陥ってしまう。彼の救世主は、ルストー(バンサン・ラコスト)だ。リュシアンが働くカフェの客として来ていた下世話な小新聞の記者だ。
文才を見込まれ、記者として雇われたリュシアンは、その世界を軽々と泳ぎだす。真っ当なものはなにもない。読みもしない本の批評。舞台の批評も金次第。大事な初日には、やらせで喝采や拍手、場合によっては、罵声もブーイングも金で買う。金で買えないものはない。その針の振り切ったあさましさは、満点のエネルギーとともに、むしろ爽快だ。
半ば過ぎのシーンが、おもしろい。社交界デビューで知り合った若手の作家、ナタン(グザビエ・ドラン)の作品の批評シーンだ。読み終えたリュシアンは、感銘を受け、批判はできないと悩む。そんなリュシアンにルストーは言う。「悪口は簡単だ、視点を変えればいい」
感動的なら自己満足、古典的なら型通り。おかしいなら表面的、知的なら気取り屋。構成が上手いなら驚きがない、と悪口レッスンが続く。
全てのことに、裏と表がある。どちらを選ぶかは自分次第。ただ、芸術作品は、そのどちらも含んでいるはずだ。どの程度味わえるかも自分次第。
『幻滅』が描く表と裏は、汚れと美。金と欲望にまみれた泥の層が、華やかな虚飾世界の底にある反面、その中を一気に走る美の閃光にハッとさせられる。
例えば、舞台女優のコレリー(サロメ・ドゥワルス)。小さいときに売られ大通り女優として辛酸をなめてきた。リュシアンと出会ったことで、舞台女優としての成功を手にする。彼女の心根の健気さ、哀れさは、浮き沈みとともに、心に光を当ててくれるようだ。
そして、泥にまみれた世界の案内人、ルストー。文学への愛を胸にパリにやってきた。だが、それを役に立たないものとくず箱に捨ててしまった。悔しさを認めず、選んだ路線を走りぬく潔さ。それも一種の美に見えてくる。
そして、なんといっても、リュシアンだ。外面の美しさだけでなく、内面も忘れがたい。彼の純朴さは、最後まで残る。
ラストシーンで、ナレーターが明かされるとき、『幻滅』は、バルザック自身が生きた世界を、リアルに描写していることがわかる。それが、この作品のずっしりとした味わいの理由なのだ。
幻滅
4月14日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリー、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開
監督;グザビエ・ジャノリ
出演;バンジャマン・ボワザン、バンサン・ラコスト、グザビエ・ドラン、セシル・ドゥ・フランス、サロメ・ドゥワルス
© 2021 CURIOSA FILMS – GAUMONT – FRANCE 3 CINÉMA – GABRIEL INC. – UMEDIA
2022年/フランス映画/フランス語/149分/カラー/5.1chデジタル/スコープサイズ/原題:Illusions perdues www.hark3.com/genmetsu
配給:ハーク 配給協力:FLICKK 後援:アンスティチュ・フランセ日本
レイティング:R-15