世界が注目する黒沢清監督の映画の怖さは、なんでもないシーンの異様さにある。壁を這う黒い影、ふわりと揺れるカーテン、テーブルからすべり落ちる新聞紙。今回の『リアル』で最初に感じる怖さは、室内ドアの周囲の壁が突然剥がれ落ちるところだ。何かが飛び出すわけでもないのに、そこから眼が離せない。観客のわたしがこんなに怯えたのに、主人公の浩市(佐藤健)と敦美(綾瀬はるか)がさほど驚かないところも不自然で、怖さが増幅される。
もっともこの場合、浩市が昏睡状態にある敦美の意識に潜入している設定だから、二人の反応が現実離れしているのも当然だ。だが次第にどこからどこまでが物語としてリアルで、どこからがヴァーチャルに移行したものなのかわからなくなる。あるいはすべてヴァーチャルと化して、もはやリアルは消失しているのではないか、そもそもリアルとヴァーチャルの違いは何か、などと思い始めたら、黒沢清の術中に落ちた証拠である。
浩市の恋人で漫画家の敦美は自殺未遂を起こして昏睡状態にある。彼女を覚醒させるために、彼は最新治療<センシング>により彼女の脳内にはいり、さまざまな働きかけをする。治療は順調に進むが、浩市は彼女の脳内から現実に戻っても、後遺症のような妙な現象に出くわす。女医(中谷美紀)はそれらを“フィロソフィカル・ゾンビ”だと言い、すみついていた一種の記号だと言う。浩市は敦美の無意識の領域へ進み、二人の故郷である飛古根島へと至る。
(この先、ややネタばれになります)
やがて女医は徐々に冷たさを増して不安定になり、医療センターそのものが異世界のようになっていく。入口も出口も定まらないまま、世界が変容していく只中に置かれたような気持ちになる。そして浩市と敦美の役どころが入れ変わるが、それが物語の運びをすっきりさせることにはならない。そもそも他人の脳内にはいって一定の時間を過ごし、無事に帰って来られるのは奇跡だ。
ラブストーリーとしての温かさは「でもよかった、敦美が元気で」と浩市がつぶやくところだ。しかし素朴な感動の後も、黒沢清的恐怖は静かな波が突如膨れ上がるかのように押し寄せる。世界は思っている以上に手ごわい。しかし自分という“リアル”が不確定なものになる怖さを味わうことは、自分を見据え、鍛え直すチャンスにもなり得るのではないか。 (内海陽子)
リアル~完全なる首長竜の日~
2013年6月1(土)全国東宝系ロードショー
公式サイト http://www.real-kubinagaryu.jp/