『市子』映画レビュー 繊細かつ力強く、生きるエネルギーがほとばしる

まいったなあ。というのが、映画『市子』を見た感想だ。まいったのは、市子を演じる杉咲花の姿だ。その存在感、シーンごとに色を変える表情の細やかさ、見ることに没頭させる力、演技にやられてしまったのだ。

『市子』は、話も仕掛けも構成も練り上げられている。謎を追っていくミステリー要素、次第に明らかになっていく真相など。空気感も浮力があり、清涼な印象など見どころは多い。

『市子』を見た直後は、杉咲花の極め付きの演技を見てしまったせいで、そちらに気を取られた。映画の全体像が見えてこなかった。彼女の本当の姿がうすうすわかってきて、胸が詰まる思いをしたのは、映画を見た後少ししてからだ。彼女の何としてでも生き残る、ただ生き残るだけではなく、生き切る静かな意思。

市子は、プロポーズされた次の日に、アパートから姿を消していた。彼女に結婚を申し込んだ長谷川義則(若葉竜也)は、理由が分からず戸惑うしかなかった。市子とは、三年間一緒に暮らしていた。彼女が不満を持っていたとは思えない。

プロポーズした瞬間の、「ほんとに?」とかすかに微笑む姿が脳裏に浮かぶ。彼女はなぜ姿を消したのか、どこへ行ってしまったのか。

長谷川は、過去に市子と関わってきた人を一人ひとり探し出し、話を聞く。そして今まで知らなかった彼女の姿が、うっすらと浮かび上がってくる。

映画の最初と最後のシーンが同じだ。市子の真の姿を知る前と、知った後に同じシーンを見る不思議。まるで長い旅をしたような気分になる。その旅は、人がギリギリで生きていく切なさと決意からなる大きな空間に支えられている。


『市子』というタイトルに大きな意味がある、もともとは、『市子』の監督、戸田彬弘が主宰する劇団チーズtheater旗揚げ公演作品、「川辺市子のために」が原作となっている。この原作タイトルは、映画の全体像を読み取るカギでもある。

『市子』は、何回も衝撃が押し寄せる大波のような映画だ。毎日つまらない、もっと楽しいことはないかな、と何かを探し回っている人にこそ見てほしい映画だ。

(オライカート昌子)

市子
12 月 8 日(金)
テアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
©2023 映画「市子」製作委員会
配給:ハピネットファントム・スタジオ