呪餐(じゅさん)悪魔の奴隷 解説・あらすじ・注目ポイント
呪餐(じゅさん)悪魔の奴隷 解説
呪餐(じゅさん)悪魔の奴隷とは
呪餐 悪魔の奴隷は、インドネシア映画の歴代興収3位のメガヒットを記録した作品。1980年代の伝説的ホラー映画「夜霧のジョギジョギモンスター」をリメイクした2017年製作のインドネシア映画「悪魔の奴隷」の続編。続編とはいえ、これだけ見ても十分わかりやすい。ジョコ・アンワルが前作に続いて監督・脚本を手がけている。
呪餐 悪魔の奴隷 あらすじ
母と祖母が相次いで亡くなり、末弟も行方不明になったリニ。一家はそれまで暮らしていた一軒家を離れ、ジャカルタ北部の高層アパートに4年前に引っ越してきた。そんな中、世間では数年で2000人もの犠牲者を出した連続殺人事件が起きていた。ある日、リニたちのアパートで多数の住人が命を落とすエレベーター事故が発生する。その夜は、局地的な大嵐の来襲が予測されていた。そして、恐怖の夜が訪れる。
呪餐(じゅさん)悪魔の奴隷 をより楽しむポイント
ポイント1 インドネシア映画は面白い?
アジアの映画が、注目を浴びています。欧米や中国・韓国の映画とは違った文化や物語を味わえるのがインドネシアやタイなどのアジアの作品。今は、Netflix(ネットフリックス)で多数の作品を見ることができます。
インドネシア映画の注目作品
ザ・レイド (2011)
ザ・レイド GOKUDO(2013)
復讐はわたしにまかせて(2021)
ポイント イスラム圏のホラーは一味違う
ホラー映画は、世界の文化的背景を知るのに役立ちます。たとえば、キリスト教信仰の強い欧米では、悪魔崇拝的な映画が多く作られていますが、悪魔という概念がピンとこない日本では、そのあたりがわかりづらかったりします。
今回は、イスラム圏のホラー。タイトルにあるように悪魔が出てきますが、キリスト教圏との明らかな違いは、悪魔の描き方。人間と対等の存在としてセリフにでてきます。だからこそ怖くもあり、だからこそ戦えるとも考えられます。
礼拝中の恐怖シーンというのも、イスラム圏ならでは。エレベーターの事故で死傷者が多数でますが、各部屋に安置された犠牲者の扱いも、日本のホラーなら、怖い案件になるところ。ですが、すでに天国に行ってしまった後の身体は、それほど、恐怖の対象にはならないのです。本当に怖いのは、人間? 文化の違いを感じます。
オマージュ作品が数多い
オマージュ作品が多いのも特徴の一つ。日本や海外でも映画化された『仄暗い水の底から』や、『リング』シリーズを思わせる描写もあります。また『エクソシスト』『オーメン』など。
また昨年公開の日本のアニメ映画『雨を告げる漂流団地 』と同じ要素が満載なのは単なる偶然? アパート、少年たち、洪水、不思議な仲間など、共通するキーワードが続出。
雨のバス停は、『となりのトトロ』?
少年・少女たちが、ひとけのない高層アパートと探索するシーンは、なぜか宝探し的映画にも見えてくる。『グーニーズ』のような。
エレベーターの恐怖シーン
『呪餐 悪魔の奴隷』では、冒頭のシーンから始まって、恐怖シーンが次々と押し寄せてきますが、その中でもエレベーターのシーンの恐怖は最高潮。
エレベーターは、映画は密室であり、映画の題材にもよく登場します。面白いシーンにも恐怖シーンにも使えるシチュエーションなのです。
エレベーターの使われ方が印象的な映画(恐怖編)
スピード(1994)
キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック主演 ヤン・デ・ボン監督のノンストップ・アクション。
死刑台のエレベーター(1958 フランス)
ジャンヌ・モロー、モーリス・ロネ主演 ルイ・マル監督作品
悪夢のエレベーター(2009)日本
デビル(2010)
エレベーターの使われ方が印象的な映画(クスクス編)
スパイダーマン2
キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー
キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー 映画レビュー
呪餐(じゅさん)悪魔の奴隷 映画レビュー
怖い映画を見るときは、身構える。見るか見ないか迷う。だが好奇心が勝って、見始めて、最後まで息を抜くことなく楽しめたのが、インドネシア発のホラー映画、『呪餐 悪魔の奴隷』だ。
楽しめた理由は、怖さだけではない。それ以外の要素をより豊かに伝える作り手側の意思だ。”それ以外の”要素というのも、広い意味での”恐怖”ではある。人間の持つ欲望の強さ。あらゆるものをコントロールしたい。手に入れたい欲求。まさしく、悪。それは、最後のシーンで特に印象的に描かれている。
最初のシーンの並外れた恐怖の場面にも注目。1955年。のどかな郊外。一つの建物が、うっそうとした高原に建っている。その建物の中身が問題だ。
次のシーンは、1984年。主人公の若い女性、レニは、家を離れて大学に行くことを勧められている。だがレニは悩んでいる。残された弟二人と、父の面倒を見なくてはならない。だが、自分のためには決断すべきだ。陽光あふれる南国の都会でホッとする場面だが、次に、高層アパートがスクリーンに登場。それだけで背筋が凍る。
何もないところに、ポツンと建つそれが、最初のシーンででてきた場所に建っていることがわかるから。
少年たちが登場し、再びホッとする。何気ない会話。「俺がなりたいのは、ジゴロさ」「自分を犠牲にして人を喜ばせるんだぜ」「どんな仕事もそうさ」
少年たちもレニも賢い。隣人の子供も。賢くて、善意があるこどもたちと大人が、悪と対峙する。悪は、悪魔でもあり、欲望。人を犠牲にしてでも欲しいものを手に入れる欲求が、あらゆるところにはびこっている世界でもある。
恐怖とホッとする安堵感がセットで並べられるリズムは、最後まで続く。善意と信じる心は、きっと勝つ。だけど、それはいつなのか。なぜなら、最後のシーンが、一番怖いところだからだ。1955年、バンドン。悪の正体は、当時のインドネシアだけでなく、今も世界のあらゆるところに生息している。
呪餐 悪魔の奴隷
2/17(金)より、全国ロードショー
(c) 2022 Rapi Films
2022年製作/119分/G/インドネシア
原題:Pengabdi Setan 2: Komuni
配給:アルバトロス・フィルム