原作者・吉田修一に興味があり、原作小説を途中まで読んでしまったのが失敗だったのか。幼い頃に母に捨てられ、無口で無骨で、デートの相手を楽しませるすべを知らない主人公のイメージが、俳優・妻夫木聡に重ならない。いつ妻夫木聡が「清水祐一」に見えてくるかということにいたずらに気をとられ、物語になめらかにはいっていけないわたしは不幸な観客のひとりだ。

そのことを別にすれば、李相日監督と吉田修一による脚本は、新聞小説ならではの精細すぎる描写をすっきりとさせ、特に前半のサスペンスはすばらしい。殺害されるOL「石橋佳乃」を演じる満島ひかりと、その父を演じる柄本明は胸にしみる名演を見せるし、祐一の祖母を演じる樹木希林も、佳乃を邪険に突き放す大学生を演じる岡田将生も、映画の中にきちんと存在している。

そして小説を超えて鮮明なイメージを残すのが「馬込光代」を演じる深津絵里だ。安易な言葉ではなく、そのたたずまいで、もう若くはない女の孤独感と無器用な生き方を表現、観客を物語に連れ込む。祐一の”運命の女”である彼女が、いつしか彼をリードしていく様子は母とおさなごが戯れているようで、やるせない詩情が漂う。

そうやって物語を味わいつつも、祐一と妻夫木聡を融合させられないわたしには、この逃避行が俳優二人によって「演じられているもの」に見え、覚めた気分が持続する。これは原作小説を読んでしまったことだけが原因だろうか。わたしがかねてひいきにする妻夫木聡の瞳は知的で情愛に溢れており、愛に飢えて心がささくれだったような祐一を演じるには包容力がありすぎるように思える。だから演じる彼がカマトトに見えてしまって落ち着かないのだろう。ある俳優をひいきにしていることが鑑賞のさまたげになることもある。この一文が、皆さまの鑑賞のさまたげになりませんように。(内海陽子)