メイジーの瞳は、ヘンリー・ジェイムズ原作の『メイジーの知ったこと』を映画化。時代を現代に置き換え、身勝手な親に振り回される6歳の少女メイジーの目に映るものだけを描く。異質だけど、みずみずしく爽やかな気分にさせてくれる作品だ。
メイジーの母はロックシンガーで、父は美術商。彼らは、忙しさにかまけて自分のことしか目にはいらない。離婚が決まると二人はメイジーの親権を争い、その結果共同親権となる。メイジーは10日ごとに父と母の家を行き来する不安定な毎日を送ることに。
父はメイジーの元の子守と再婚し、母も、昼間メイジーの世話をしてくれるからと、バーテンダーの青年と歳の差結婚をする。だが子供の存在すらちゃんと受け止められない二人の再婚がうまくいくわけもない。メイジーは宙ぶらりんだ。
そんなメイジーの状況にもかかわらず、さわやかな印象を受けるのは、メイジーが健気ないい子だから。自分の状況を受け止め、万が一誰も迎えに来なくても、マンションの玄関や学校の教室で静かに待っている。やっと誰かが迎えにやってきたら、笑顔で応える。
子供だ大人だ、金持ちだ貧乏だ、立派な仕事をしているなどと、わたしたちは人に区別をつけ習慣があるけれど、子供の視点で描かれるこの映画は、そういう大人の理性とは違ったところに力点がおかれる。
見かけや職業やレッテルは関係なく、純粋に行動やあり方だけを見る。だから、よりくっきりと人間性が浮き上がる。公平性も感じられるし、そこも爽やかに感じられる理由の一つだろう。
ただ、大人であり親である私も、自分を振り返らずにいられなくなってしまった。人の行為は面白がって見ることができるけれど、子供の純粋で真っ直ぐな目で見られたら、どれほどの身勝手なことをしでかしてきたんだろうかと。
ラストは理想的で締めも上手い。ヘンリー・ジェイムズの原作のラストも同じなのだろうかと、気になってしまった。ヘンリー・ジェイムズが一番活躍したのは、アメリカではリンカーンの晩年ごろから、第一次世界大戦のころ。現代に置き換えているとはいえ、当時の18世紀から19世紀初頭の、今よりのんびりしていた時代の空気感が、メイジーの瞳全体に漂っているところも特徴の一つだと思う。 (オライカート昌子)
メイジーの瞳
2014年1月31日(金)TOHOシネマズシャンテ、シネマライズほか全国順次ロードショー
公式サイト http://maisie.gaga.ne.jp