
大正時代は、モダンで自由な精神が息づいている。『ゆきてかへらぬ』は、三人の才能ある実在の登場人物とともに、第二次世界大戦前の日本を散歩している気分になれる。それは映画の造りに余裕があるからだ。『ゆきてかへらぬ』は、名匠・根岸吉太郎監督の16年ぶりの長編映画であり、脚本は「ツィゴイネルワイゼン」の田中陽造。落ち着きと円熟味が映画に染みわたっている。
とはいえ、『ゆきてかへらぬ』の題材は危険だ。地獄の三角関係といわれた長谷川泰子(広瀬すず)、中原中也(木戸大聖)、小林秀雄(岡田将生)の関係。地獄というのは当人たちにとってであり、見ている側は、色彩・演技・演出・美術の豊かさで、むしろ極楽気分だ。
スタートは17歳の中原中也と20歳の泰子との出会いから。京都の狭い町並みの二階の窓から見えるのは、屋根瓦の上のオレンジ色の柿。オレンジ色の番傘。風情のある景色と、子どもの遊びにも見える恋愛。
二人が東京に移ってからは、不協和音がしのびよる。それと足並みをそろえるように、中原中也の詩人としての才能は花開いていく。そして評論界の俊才小林秀雄の登場。
普通だったら三角関係の中心は女性。駆け出し女優の長谷川泰子になるところだ。『ゆきてかへらぬ』も形だけならそう見える。中原中也は熱く、小林秀雄はクールだ。熱さと冷たさの間で揺れる女の実体は薄く、正体不明のわからなさがある。『ゆきてかへらぬ』は、中原中也の魅力と重力が映画を支配している。泰子も小林秀雄も中原中也の周囲を巡る衛星のようでもある。
それにしても、男たちの優しさにはグッときてしまった。明治生まれで大正育ちの男たちは、今とはけた違いの強さと優しさを持ち合わせていたのだろうか。根岸吉太郎監督も脚本の田中陽造氏も高齢だが、昭和生まれ。監督と脚本家の若き日には、明治生まれの強き男女が日本の中心を守っていた。そう、言い忘れたが、明治生まれの女性も強い。弱く見えると思って侮ると火傷する。『ゆきてかへらぬ』の長谷川泰子の正体のわからなさは、今とは違う女性像を見せてくれているからなのだろうか。
ゆきてかへらぬ
【公開表記】 2月21日(金)より、TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
【コピーライト】 ©︎2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会
【配給】 キノフィルムズ
監督:根岸吉太郎 脚本:田中陽造
出演:広瀬すず、木戸大聖、岡田将生
田中俊介、トータス松本、瀧内公美、草刈民代、カトウシンスケ、藤間爽子、柄本佑
©︎2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会 配給:キノフィルムズ
公式HP:www.yukitekaheranu.jp