「ドラゴン・フライ」は、トンボ。
「シー・ドラゴン」は、タツノオトシゴ。
「ジェリー・フィッシュ」は、クラゲ。
映画の原題を調べてみると、ちょっぴり博学になる。
で、『さよなら、退屈なレオニー』の原題にある「ファイヤー・フライ」とは?
ホタル。
でもね、映画『さよなら、退屈なレオニー』は、こんなお気軽な導入で語ると平手打ちされるほどの問題作だった。。。
カナダのとある港町に住むレオニーは、(ホタルも消えて)、「町はゾンビのように死に体だ」と嘆く17歳の女子高生。
母親は再婚、何事も長続きはせず、退屈な日々を過ごしていた。
一見過ごしやすい田舎町のようだが、父親はひとり北の地で暮している。
父親っ子なレオニーは、「話し相手もいない」ともがく。
なぜ、父親は家を出たのか。
(なぜ、ホタルはいなくなったのか。。。)
堅実で質素な父親に比べ、新しい父親はラジオ番組を持つ人気DJ。
町中にそんな義父ポールの広告が溢れ、学校ではみんながバカ騒ぎ。
口論が絶えない家庭でレオニーは押しつぶされそうだ。
義父の口利きで決まった野球場のアルバイトも退屈極まりない。
町を逃げ出しそうになった時、安食堂でギター弾きに出会うレオニー。
でも、ギター弾きのスティーヴは母親と同居の30歳代のひきこもりじゃないか。
そこから映画はゆっくりと「謎解き」をしていく。
「けっして青春映画ではありません。
『愛』についての映画です。
『無知』についての映画かもしれないし、
ある意味『政治』的な映画でもある!」
と監督は言う。
(なぜ、ホタルはいなくなったのか。。。)
監督は続けて、
「私はちょっとした『世界の終わり』が好きです。
不在の人、不在そのものが好きなのです」
不在の人とは、レオニーの父親のことだろうか。
やがて、離婚の原因がぼんやりと見えてくる。
北の果てに移り住むことになった父親のワケも浮かんでくる。
そして、ホタルが消えた理由もジワリと胸に迫ってくる。
(なぜ、ホタルはいなくなったのか。。。)
監督いわく、
「昔の映画館で、、、イタリア人にとって『ホタル』とは、小さな灯りを持って客を席に案内する若い女性のことでした」
そしてこんな興味深いコトも綴っている。
「夜に光る小さな光(微光)は、プロジェクターや、娯楽施設の強すぎるネオンやスピーカーの大音量で見えなくなったのです。
微光をよく見るために照らすことはできません。
光の下で、微光は消えるのです。
光はある物を出現させたり、消滅させたりします。
この映画のタイトルは、物語を理解するための道筋となります。
けっして強制はしませんが。。。。」
やがて、レオニーはギター弾きとの交流で町に根を下ろしていく。
そして、父親の告白で熱い涙を流すこととなる。
(なぜ、ホタルはいなくなったのか。。。)
物語の端々に、私には幻影が見えた。
それは、「原発」。原子力発電所だった。
それぞれ登場人物が、ソレとどう向き合ってきたのか。
やがて、ラストシーンに震えることとなる。
そこには息を飲むシーンが待ち構えている。
『さよなら、退屈なレオニー』
原題「The Fireflies Are Gone」
第31回東京国際映画祭上映時タイトル「蛍はいなくなった」
6月15日(土) 新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
監督:セバスチャン・ピロット
音楽:フィリップ・ブロー
レオニー:カレル・トレンブロイ
ギター弾きスティーヴ:ピエール=リュック・ブリラント
父親:リュック・ピカール
義父ポール:フランソワ・パピノー
レオニーの母親:マリー=フランス・マーコット
配給:ブロードメディア・スタジオ
宣伝:ポイント・セット
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