『ワンダーウーマン 1984』映画レビュー(感想)

ワンダーウーマンのダイアナは、強くて美しい。孤独に耐え、シンプルな生活を送るストイックな女性だ。なのに共感できる。

どんなに能力にあって、神の子どもでスーパーパワーを持っていても、それだけで幸福なわけじゃない。叶えることが不可能な望みがあって、それが彼女に陰を作る。

特別な女性を普通に見せる。普通の女性も特別。それも同時に伝える(女性でなくても)。パティ・ジェンキンス監督の持つ女性目線の繊細な業だ。

前回の『ワンダーウーマン』は、1910年代の第一次世界大戦が舞台。それから70年。世は希望に満ちた80年代の狂騒に沸いていた。ダイアナは、ひっそりとスミソニアン美術館で、考古学者として働いていた。

彼女が職場で出会ったのは、バーバラ。自信が持てない上、見かけも野暮ったい。そんな彼女が、奇跡の変貌を見せる。ある禁断のパワーを持つ物体のおかげだったのだが、それを狙っていたのは、実業家のマックスだった。彼の深謀は、世界を破壊の瀬戸際まで追い込んでしまう。

ダイアナの今回の使命は、世界の破滅を防ぐこと。そのために彼女が犠牲にしなければならないものは、たとえようのないほど大きなものだった。

第一作目の『ワンダーウーマン』について、『マイティ・ソー 』ミーツ『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャーズ』と書いたのだが、二作目の『ワンダーウーマン1984』は、『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャーズ』ミーツ『アラジン』。

『ワンダーウーマン1984』が『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャーズ』に似ているところは、第一作目と同じの時空間の違いをコミカルに、時に切なく描いているところ。もはや、お決まりの設定と言えそうだ。

『アラジン』を思い出させる要素は、あったらいいなと思う魔法のランプ。でも、ランプをみんなが持ってしまったら世界はどうなってしまう?

ところで、1984というと、多くの観客が思い描くのは、ジョージ・オーウェルが1948年に書いた小説『1984』だ。被支配者を分割統治、監視社会のディストピア社会を描いている。

だが、私の記憶の中では、1984年は明るく楽しいものだった。街を歩けば、カラフルな服、フワフワの髪型、スポーティで活動的なイメージ。子どもたちはゲーム機を持っていないし、大人たちにもスマホもパソコンもない。

間もなくバブル景気に沸く時代、欲望に火をつけられ、切望にかれれ、波に押し流されそうになる空気感もあった。

ディストピアと欲望、この二つのワードが、1984という数字のイメージ。それをを大胆に書き換えてくれるのが、『ワンダーウーマン1984』で、ワンダーウーマンこと、ダイアナが持つストイックなあり方だ。

ディストピアは、一歩間違えばすぐそこにある。でも、ユートピアの種も必ずある。その種を育てるために、『ワンダーウーマン 1984』は、ささやかに勇気を奮い立たせてくれる。

(オライカート昌子)

ワンダーウーマン 一作目の映画レビュー

ワンダーウーマン1984

(C)2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics
2020年製作/151分/G/アメリカ
原題:Wonder Woman 1984
配給:ワーナー・ブラザース映画