『オッペンハイマー』映画レビュー

ジャンル映画を超えたコントロール力
クリストファー・ノーラン監督作品の特徴を一つ上げるとすると、そこに映画を作ること、映画を見ることの至福がある。シーンの一つ一つ、会話の一つ一つ、画面の一つ一つが、これ以上になく完成されている。足りないところはなく、無駄なところもない。窮屈ではなく、規律性に基づいたコントロールの力がある。それは、見ることの快楽に誘う。

今年のアカデミー賞を総なめにした『オッペンハイマー』も同様だ。『オッペンハイマー』が、今までのクリストファー・ノーラン監督作品との大きな違いがあるとすると、それは、ジャンル映画ではないということ。

『オッペンハイマー』は、マンハッタン計画の責任者、ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)の半生を描いている伝記映画であり、今までクリストファー・ノーラン監督が描いてきたSF映画や戦争映画やヒーロー映画などの純粋ジャンル映画とは違う。

しかし『オッペンハイマー』には、ちょっぴり、ジャンル映画の要素もプラスされている。SF映画的なところ、戦争映画的なところ、ヒーロー映画の部分もある、つまり、ジャンル映画というよりは、オールジャンル映画とも言える。

そして、『オッペンハイマー』には、ジャンル映画にはなくてはならない、映像快感の追求もあることがポイントだ。私たち日本人にとっては、重く苦しいテーマである”原爆”の誕生シーンがあるにもかかわらず。
その追求という点で、『オッペンハイマー』がとった一つの方法は、時間軸をバラバラに描くこと。ロバート・オッペンハイマーという人物の若き日から栄光と転落を、直線的に描くならば、わかりやすい。けれどいかにも伝記映画的で退屈な面もある。

それをモノクロシーンも入れ込みながら、シーンと時間をバラバラに描く。いったい、ロバート・オッペンハイマーに何が起きたのだろうという興味と謎を最後まで持続させる。

中間パートの原爆開発プロジェクトの委員長に指名され、プロジェクトに邁進する部分は、ほぼ直線的に描かれていて、映像的・物量的にもクライマックスレベルだ。だが、それだけでは終わらない。そのあとの部分が重要。欲と嫉妬と誤算の人間ドラマだ。今までバラバラだった時間軸が収束していく部分だ。

映画『オッペンハイマー』は、テーマ的にも映画的にも完成され、ディテールや情報量も多い。見る人によっての受け止め方の幅も大きいだろう。『オッペンハイマー』の感想を言うことは、まるでその人の頭の中身を披露することにも近い。

私の場合は、『オッペンハイマー』の中間のクライマックス、つまりマンハッタン計画の遂行が、まるで、映画製作の現場のように見えて興味深かった。兵器を完成させることと、映画を完成させることは、全く違うけれど、仕事を進めるという点では同じだ。

ロバート・オッペンハイマーが、マンハッタン計画において果たした役割は、クリストファー・ノーラン監督が映画製作現場で日々行っていることではないか。最適な人を集め、スケジュール調整し、ロケ現場を選び、町を作り、日々起こる問題に対処する。そしてオーナーとの交渉。いくつもの困難を乗り越え、やがて完成したとしても、そこからまた、新たな問題点が巻き起こる。

そういう意味では、この『オッペンハイマー』は、スティーブン・スピルバーグ監督の『フェイブルマンズ』、フランソワ・トリュフォー監督の『アメリカの夜』のようにも見えてくる。

あなたは『オッペンハイマー』を見て、感想を伝える(つまり、あなたという人間を表現する)勇気はあるだろうか。それがあってもなくてもかまわない、映画を見ることの至福、そして人間がもたらす悲しみすら、味わい尽くすほうが先だ。

(オライカート昌子)

オッペンハイマー
3月29日(金)、全国ロードショー IMAX®劇場 全国50館 同時公開
配給:ビターズ・エンド  ユニバーサル映画
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