『ボーはおそれている』映画レビュー 一筋縄ではいかない究極の映画体験

『ボーはおそれている』は、見ごたえのある映画だ。一筋縄ではいかない。けれど、この映画体験の豊かさは、過激そのもの。映画を何本も一度に見たような気になる。アリ・アスター監督の意図と表現は、どのように自分に作用してくるのか、余韻がいつまでも続いている。

豊かさの理由の一つは、主演のポーを演じるホアキン・フェニックス。最初、主人公のボーは、冴えない様子で登場する。章が進むにつれ、ボーは、存在感を増していく。あらゆる感情と、状況と変化を繊細に大胆に演じ切るその姿を見るだけでも驚きだ。

ボーが、母を訪ねる旅に出るまでの第一章が圧巻だ。精神分析医の静かな居間の会話からスタート。そのシーンからして、不思議なほどの臨場感がある。音、色彩、空気感、時間の流れの表現が、最初からして印象的。

ボーの住むアパートとその周辺のシーンでは、次から次へと危機が襲い掛かってくる、コメディとサスペンスが入り混じった怖ろしい状態なのだが、スピード感、間の取り方、よどみのない流れと美術の作りこみが半端なく気持ちよい。ストーリー的には、気持ちのよさとは正反対なのだけれど。

母を訪ねるために、プレゼントを用意して、飛行機の予約をしていたボーだったが、アパートの住人が、寝ているだけのボーに、うるさいと苦情のメモを入れてくる。それが何度も続くため、やっと眠れたのに、起きたのは午後だった。

母から、もう着いた? 今、はどこにいるの? という電話がくるけれど、まだボーはアパートから一歩も外へ出ていない。はたして彼は、旅をスタートできるのか。母の元へと、行きつけるのかが、ストーリーライン。

その流れの中で想像を絶する事態が、起き始める。観客は、居心地の悪さと同時に正体不明の快感の揺れで、酔ったようになるだろう。本当に起きているのは何なのだろう? ボーは、何を恐れているのか。

映画を最後まで見て、見たものについての受け止め方次第によって答えが見えてくる。あるいは、観客が、見たいものが見えてくることもあるだろう。

『ボーはおそれている』の造りは厚みがある。実はシンプルな形なのだが、角度によって、見えてくるものに変化がある。しかも、何重にもなっている。アリ・アスター監督の企み、あるいは仕掛けられたゲームに気づけるかどうか。企みというのは、監督が見せているものと、意図に違いがあるということだ。

宿命、血、家族の歴史、生と死など、『ヘレディタリー/継承』で描かれたテーマが、再び蘇る。ギリシャ神話的なモチーフもある。ボーの姿も変わっていくのだけれど、母の印象も、自然と変わっていくのもポイント。

これほどの長時間の作品で興味を逸らせず、惹きつける力の凄いこと、これぞ、エンターテイメント。エンタメとは、決して、単純に楽しませることを目的とした映画だけではない。脳を活性化させ、美で心を満足させることも、一流のエンタメだ。

隠喩と謎解き 見えてくる壮大な世界、母の思い子の思い、人生のやりきれなさ、『ボーはおそれている』に込められた宝箱を十分に堪能して欲しい。

(オライカート昌子)

(武茂孝志)

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ボーはおそれている
2月16日(金)より全国公開
配給:ハピネットファントム・スタジオ
© 2023 Mommy Knows Best LLC, UAAP LLC and IPR.VC Fund II KY
監督・脚本:アリ・アスター 『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』
主演:ホアキン・フェニックス 『ジョーカー』『カモン カモン』
出演:ネイサン・レイン、エイミー・ライアン、スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン、ヘイリー・スクワイアーズ、ドゥニ・メノーシェ、カイリー・ロジャーズ、アルメン・ナハペシャン、ゾーイ・リスター=ジョーンズ、パーカー・ポージー、パティ・ルポーン