トップムービー恒例の映画対談(鼎談・座談会)も今回で18回目を迎えました。今回の映画鼎談は、シアーシャ・ローナンが、『つぐない』以来のイアン・マキューアン原作作品に挑んだ『追想』についてです。映画評論家の内海陽子さん、ライターのオライカート昌子に加えて、増田統さんも参加。熱い議論となりました。
映画『追想』とは
映画『追想』は、イアン・マキューアン原作の『初夜』を、原作者自ら脚本を手がけ映画化。若手実力派女優ナンバーワンのシアーシャ・ローナンと英国俳優の注目株、ビリー・ハウルが結婚式を終えたばかりの初々しい夫婦を演じています。監督は、舞台演出家や脚本家としてキャリアを重ねたドミニク・クック。
偶然の出会いで恋に落ちた、才能あふれるバイオリニストのフローレンスと歴史学者を目指す青年エドワード。様々な違いを乗り越えて結婚し、新婚旅行先のチェジル・ビーチで、幸せの第一歩を歩むはずだった。しかし、ある出来事が二人の間に亀裂を生む。果たして二人はどんな人生を歩むことになるのか。
『追想』映画鼎談
彼女の服を脱がせたら
内海;『追想』は、初夜ものですが、初体験ものでもあります。考えたら初体験ものはけっこうありますが、ここまで初夜をあからさまにアップした映画というのは、なかったような。役者さんの力量に助けられて緊張感のある映画になっているけれど、にっかつロマンポルノのような、未熟な性をからかう映画になってもおかしくないのに、ここまで格調高く仕上げたことに私はびっくりしました。
増田;私もエドワードがフローレンスの服を一枚脱がしては回想が始まり、また一枚脱がしては回想が始まるので、そこに行くまでの映画なのかなと思いました。「彼女の服を脱がせたら」みたいな。
内海:ラテン系じゃないって感じですね。ヨーロッパのあの時代性もあって、宗教的な縛りや、禁忌もありますね。イアン・マキューアンの原作もあって、原作者が脚本もやりたかったというのは、やはりイギリス人ですよね。日本人では人に言わない話。谷崎潤一郎的な感じもして。
増田:谷崎だったらという話ですけど、日本人のメンタリティとも共通している感覚もある。エドワードがフローレンスに「あなた何人と経験があるの?」と聞かれて、女性人数の見栄を張るじゃないですか、あのあたりも日本人らしくて微笑ましかった。
内海:彼女がそれを聞く気持ちもわかるわよね。でも、日本人だとあまり言わない。昌子さんは、唯一若くして結婚なさっているわけですが、結婚に当たって波風はなかったんですか?
オライカート:そんなに若くもなかったんですけど。
内海:結婚に至るまでの状況はどうだったの?
オライカート:私の場合は、結婚したい人はいたけれど、彼と結婚することになった一番の理由は、彼の家族ですね。それ以前の相手の場合は、家族があわないということがありました。やはり結婚と恋愛は別で、相性もあるけれど、一緒にいて楽になることが一番でした。国籍や宗教以上に。結婚は個人が二人結婚するという面はあると思いますが、家同士が結びつく点も大きいと思います。
内海:以前の彼は日本人?
オライカート:一番真剣に考えていた人はヨルダン人で医者だったのですが、彼の家族は田舎のベドウィン。
内海:ヨルダン人と気性が合うのね。
オライカート:夫はヨルダン国籍を持っていますが、パレスチナ人です。彼の家族でヨルダンの国籍を持っているのは、彼だけで、なぜ彼がヨルダン国籍を持っているのか、誰もわからない。家族の多くは、パレスチナの西岸に住んでいるんですが、誰も国籍を持たずに、外国に行くときは、パスポートではなく、通行証を使います。今はパレスチナも国連に加盟していますから状況は変わっているかもしれませんが。今度公開のレバノンを舞台にした映画『判決 二つの希望』でも通行証のことはでてきますよね。
”未熟”という落ち度
オライカート:恋愛と結婚は、別ですが、この映画は恋愛でもなく、結婚生活でもなく、初夜そのものを描いているところが独特です。描写としては、告白のシーンもなければ、結婚申し込みのシーンもない。
内海:本当に珍しいよね。
オライカート:最初の浜辺を歩いているところでは、私は二人の関係を読み取れませんでした。徐々にわかってきたんですけれど。
内海:新婚旅行だというところはわかりますよね。
増田:少なくとも長年の夫婦という感じではないですよね。ちょっとお互い遠慮がちで、初々しいところがあって。
内海:成田離婚ものかなあって思って見ていました。
増田:エドワードがカーッと癇癪を爆発させて、海岸から去っていくところは男の気持ちとしてはよくわかりますし、そういう男性はいっぱいいると思うんですけど、そこで男性の立場としてみたときに、フローレンスは追いかけなかった。女性とは、そういうものですか?
内海:最初は彼女が逃げたからね。最終的に謝ったとしても、彼はそれを許さない。
増田:だからもう追いかけない?
内海:あそこでちゃんちゃんとなったら、ある意味ドラマとしては破綻しちゃうでしょ。やはり彼女がものすごい逃げ方をしたから、それに対して彼のプライドはズタズタになって、砂浜での会話があって、最後に彼女が謝ったというのがありますが、彼は絶対それを許せなかったんじゃない?
増田:加えて、二人が結婚生活を送ったとして、エドワードにとっては「性的な面で愛人を作ってもいいのよ」というのも許せなかったわけじゃないですか。そうなるともう、女性の立場からすると、とりつくしまないということになるんですかね。
内海:そうでしょうね。ぎりぎり謝ったのに、かれはどうしようもないぐらい怒っちゃったわけで、それじゃどうすることもできない。
増田:つまり、ダメ押し。
内海:第三者がそばにいて、「まあまあまあ」ということがなければ、無理ですよ。
増田:男性の立場からすると、それは凄い甘えなのは承知の上で、そんなことを言ってもすがりついてくれるんじゃないかという淡い期待というのがあったんじゃないかと思うんです。だからあれだけ未練がましく、逆に言えば、嫌味じゃないですか。最後の弦楽五重奏団の解散コンサートの場面で、思い出のモーツアルトの曲を聴きながら、僕の席はここだよと目配せするところ。そこまでやる執念、何十年後も思い続けているということは、あの時、内心彼は追いかけてくれていればと、ずっと思っていたのではないかと。
内海:わたしは後悔ではないかと思う。あの瞬間は、追いかけてきたとしても拒絶すると思う。
増田:うん、確かに。
内海:怒りの方が強かったから。時間が経って初めて、あの時謝罪を受け入れて、二人でホテルへ帰れば良かったなあって思ったことはあったと思う。だけどあの時はもう無理ですよ。
増田:もう取り返しがつかなかった。でも、それでも取り縋って欲しかった、と。
オライカート:彼は何の落ち度もなかったんですけどね。
内海:落ち度はあるのよ。「未熟」という落ち度が。男の気持ちがわからないのかって言っているわけ。女の気持ちもわからないのに。
増田:だから初体験ものという訳なんですね。
男と女の違い
内海:未熟なのは二人ともですが、対等じゃないのよ。男は、女は男の気持ちをわかるべきだと思っているところがあるんですよ。マッチョなところがあるんですよ。
増田:たしかに、そこでフローレンスがすがりつくと夫婦関係が確立されちゃう、初夜の段階で。男性が女性を下に置くというような。本能的に彼女はそれを拒絶したのかも。
内海:そういう考えも成り立つね。従来の日本女性だったら受け入れちゃうでしょ。
増田:彼女自身もエドワードに、「西側で一番固い女」とからかわれるように、どこか頑迷なところもあるから、その時点で、ああもうだめだって、あきらめて、自分の意思を貫くほうを選んだんでしょうね。彼女は決して受身の女性ではないから。
内海;やっぱり断ち切る。お互いきっぱりしている二人だったのね。
増田:女性は現実的で男性は夢見がちという常套句が見事に当てはまる。
内海:やはり男と女は違う気がする。女のほうが、ダメだなと思ったら、ダメで、男のほうは、自分はダメって言ったくせに、実はいつまでも引きずっている。だから女々しいという言葉は、実は男男しいと書くべきだと山田宏一さんはおっしゃっていますが(笑)。
あと、彼の家族とヒロインはうまくいきそうだったので、あそこは悲しいよね。彼女が、お母さんの気持ちを盛り立ててあげたので、彼は感動して陰で泣くじゃないですか。わたしはあのシーンがとても好きなんです。ああいうところで、人はこの人と一緒になろうと思うのかなあと。結婚というのは、恋愛とちょっと違って、家族を受け入れる。家族を大事にしたいと思うのが結婚だとすれば、彼女は理想的な奥さんなのよね。
増田:お父さんにも早く結婚しろよと助言されてたのに。
内海:そう思うと残念なのよね。
家庭という呪縛
オライカート:ただ、エドワードにとって、フローレンスの家族が理想的かというと、大きな違いがあります。結局、結婚って天秤のようなものですから。
増田:婿に入るような形になるからね。
内海:嫌な親父だったものね。
増田:お父さんが、子供時代のフローレンスと釣りに行くシーンがカットバックされて。
オライカート:私もあそこは気になりました。
増田:もしかしたら、フローレンスが性に対して拒絶するようになったのは、子供時代に父から性的な嫌がらせのようなことがあったのかなと。
オライカート:同感でした。
内海:わたしはそう思いませんでした。お父さんの欲望はあったかもしれない。現実はなにもなかったと思う。
増田:だったらなぜ、あんな描写があったのでしょう。
内海:ファザコンなのでは。
増田:テニスコートのシーンで、負けることが許されない幼児性を見ると、父権主義的なハラスメントがあったように思えます。当然、当時はそんな意識はなかったわけでしょうが。
内海:父親の圧力? 肉体的な虐待はなかったと思うんですけど、精神的な抑圧を与える存在として父がいて、お父さんの側からしたら、可愛い娘に対する何らかの欲望が潜んでいたとしてもおかしくない。だから婿いじめをするわけでしょ。彼女はお父さんが好きで、お父さんの影響下からなかなか抜けられない。お父さんの圧力、父性なるものに縛られている気はする。
オライカート:母性からも縛られている。
内海:だからそういう時代のお堅いお嬢様なのよね。呪縛から逃れたいと思うけれど、なかなか逃げられない。
増田:結婚というのは、そういう実家からの逃避という可能性だったのに、逆にエドワードを父親の会社で働かせるわけで、家族に呪縛されているのにも関わらず離れられないという関係が歪みに感じました。
内海:性的な問題ではなく、家庭という社会的束縛。
オライカート:そのあたり曖昧ですよね、ある程度の情報しか与えられていないから、こちらはあったともないとも言えないけれど。
増田:原作者が脚色していて、残したということは、何か含みがあるんでしょうね。
内海:わたしは、ほのめかしが邪魔と思いました。物語の明晰さを損なっている気がしないでもない。余計な部分だもの。何があったとしても、一目ぼれした二人が傷つけあうというお話でしょ。
オライカート:一目惚れだったかなあ。
内海:一目惚れよ。二人の対面は典型的な一目惚れの場面よ。
オライカート:彼は成績を誰かに自慢したかったわけで。
増田:一瞬にして顔が輝きますよね。
内海:あれは典型的で綺麗なシーンですよ。
増田:彼女を運動にかこつけて口説いている男を袖にして。
内海:あれは一瞬のうちの好意だと思いますよ。全体的にはもったいないところはある。やっぱり脚本家は違う人のほうがよかったかもしれない。
オライカート:新人監督というのもあるかもしれない。
内海:ある意味、もっと安く通俗的に作ったら、もっと悲しかったかもしれないわね。男がかっこよすぎる。あれはみっともない男だと思うから。
増田:それにしても、あの”初夜”の状況で妊娠する可能性はあると思いますか。
内海:挿入しなくても妊娠することもあるということよ。
幸せになるチャンスはあった
増田:数年後、レコード屋に、クロエという娘が来るじゃないですか、フローレンスがエドワードとの間に生まれた子供に付けたかった名前を持つ少女が。あれは、もしかしたら、そのときの子供だったのではないかと。
内海:彼の子供に決まっているじゃない。
オライカート:えっ? てっきり私は、その後結婚した人の子供だと思ってました。その後できるようになったんだなって。
内海:妊娠したので、たぶん性的に成熟したのよ。
オライカート:そんなに簡単に妊娠するもの?
内海:するわよ。いろいろ不幸な話があるでしょ。成田離婚の後で妊娠していたと言うのもよくある話よ。
増田:そのとき、エドワードはピンときたのに、その確認作業をしなかった。それも男のプライドというか、エゴなのかなと思ったのですが。
内海:その子に対する愛でしょ。野暮なことはしないわよ。無礼だし、イギリス人にあるまじきことでしょう。というより、人間の節度の問題。
性教育さえきちんとされていれば問題なかった二人なのに。元々は初夜の失敗の話だし、不器用なぶつかりあいがあったとしても、決別につながる必要もなかった。親もそろっているし、周りがなんとかすればああはならなかった。原作者が何らかの体験を元にリアリティのない話になっているという気がしないでもない。
増田:ただ、男性なら誰でもああいう失敗の恋愛経験は少なからずあると思うけれど、そこであれほど一生に一度の恋というように引きずるのをロマンチシズムというには、男性目線ゆえの綺麗事のようにも思えますね。
内海:そこは原作者のわがままで、筋の作り方に少し無理があるような気もしてきますよね。映画自体は面白く見ましたけどね。
増田:幸せになるチャンスは何度もあったのに、ことごとく自ら潰していく話ですものね。今我々が話しているのも、何であそこで追いかけなかったのかとか、いくらでも悲劇的な別れにならない方法があったのにと。
内海:納得しちゃったら、話す意味もないわけよね。作者の仕掛けにはまってしまっているのかもしれないわね。
オライカート:私はそんなに簡単に妊娠できるの? ということがまだ一番気になります。
追想 作品情報
© British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017
配給:東北新社 STAR CHANNEL MOVIES
8月10日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー
監督:ドミニク・クック
原作/脚本:イアン・マキューアン
出演: シアーシャ・ローナン (フローレンス・ポンティング)
ビリー・ハウル (エドワード・メイヒュー)
アンヌ=マリー・ダフ (マージョリー・ダフ)
エイドリアン・スカーボロー (ライオネル・メイヒュー)
エミリー・ワトソン (ヴァイオレット・ポンティング)
サミュエル・ウェスト (ジェフリー・ポンティング)
イギリス/2017/110分
公式サイト http://tsuisou.jp/
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