統合失調症患者の中でも、規則性に拘る傾向があると診断されたジージョとルカが寄木細工の職人としてその秘めた才能を遺憾なく発揮するのを軸に、虚言が口を衝くファビオは営業担当に、妄想上の恋人に胸をときめかせるミリアムは電話番に、あるいは自閉症のロビーはオールバックのスーツ姿に鋭い眼光を光らせて無言で取引相手に圧力をかける“会長”役にというように、精神病院付属の「協同組合180」のリーダー、ネッロが適材適所に配した10人の患者たちの社会進出の快進撃には、あたかも「ネッロズ11」と言いたくなるような痛快さが満ちる。
生気に欠け、姿形からしてみずぼらしい患者たちは、初めてネッロが「協同組合180」に現れたとき、敵愾心を露わにする。当然だ、彼だけが唯一の“健常者”だからだ。そのとき、ネッロは彼を殴ったルカを主治医に報告しない。暴力を振るったことが知れると、投薬の量が増える。薬の副作用は、彼らから生きる気力を奪い去るからだ。
それを知ったルカは、彼を認める。患者たちが求めるのは信頼であり、お偉方の医師の「心に傷を負った者には無理だ」という診断に反して、手に職をつけることで得た報酬は、彼らの心に自ずと自信を芽生えさせる。それにしても、テロ集団“赤い旅団”のマークが施された寄木細工の床が許されるのは、ファッションの都ミラノならではの遊び心と、私はニヤリとしてしまう。
ところが、パリの地下鉄駅構内の床の修復という大仕事を控えて、その準備期間中は無給だと告げるネッロに、彼らは「ノー」を言い渡す。落胆するネッロを、医師のフルランはこう慰める。「喜ぶべきだよ」。それまで彼に唯々諾々と賛成するだけだった彼らが、はっきりと自分の意思を表明したからだ。そして、ジージョは言う。「恋人が欲しい」と。しかし、現実社会における彼らへの偏見はまだまだ根強い。それゆえ、ジージョの辿る悲劇を目の当たりにして、彼らは個人の歓びから仲間たちの連帯に目覚めるのだろう。
パリの大仕事を請け負ったネッロたちが受け入れた新たな作業人たちは、かつての“ネッロズ11”を彷彿させる同じような特色を秘めた患者たちだ。“やればできる”(原題)。そんなイタリア式理想主義が、誰にとっても生きやすい社会へと、その底辺を広げてゆくのだ。
(増田統)
『人生、ここにあり!』
2011年7月23日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー
公式HP http://jinsei-koko.com/
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