『クレイジー・フォー・マウンテン』  監督インタビュー

名だたる映画祭で審査員と観客のハートを掴み、母国オーストラリアでその圧巻の映像スケールを披露するやナンバーワン・ヒットを記録! アメリカの映画批評サイト「Rotten Tomatoes」でも、なんと96点の高得点を叩き出した映画『クレイジー・フォー・マウンテン』が早くも日本公開となる。

冒頭、眼下300メートル以上もあろう垂直な岩壁に男がへばり付いている。

命綱は無い。腰に滑り止めのチョーク袋をぶら下げているだけ。

よく見ると、この男、岩肌に向かってニヤリニヤリとしている。

アホなのか。

と思った瞬間、聞き慣れた声のナレーションが流れる。

「山頂に何があるというのか。

人間はどうして危険な領域へと引き寄せられるのか。

命をかけてまで」

その後、この岩壁男がどうなったのかは知らない。

映画には人間を拒絶する切立った山々が現れる。

足場を風雪で目隠しする厳寒登頂のサスペンスがある。

血が滲む指に息を吹きかけながら冬山に挑んだことを乞うクライマーがいる。

危険を省みず、急勾配をバイクで疾走する連中。命知らずの綱渡り男もいる。

挙句は今流行りのムササビ姿で絶壁から一気に落下するバカ者まで。

一方で山に暮らす者がいる。霊山に祈りを捧げる遊牧民がいる。

山はこうした人間に贔屓なく平等だ。

違いといえば、変動激しい天候とその人の運、、、運命ぐらいか。

私たちは74分間、山々に挑む人間を注視することになる。

この『クレイジー・フォー・マウンテン』を配給するアンプラグドさんから

監督来日の報を受け、インタビューを仰せつかった。

強靱な体のオーストラリア監督か、いや待てよ、ユーモラスな部分を兼ね備えたクロコダイル・ダンディー風か。あれこれ想像ながらスタッフ・ロールを眺めると、ジェニファー・ピードン監督(以下、JP)とある。

お会いすると物静かな女性監督だった。


〜〜迫力ある映像ばかりで足がすくみました。

そして、極限の映像美に興奮しました。

失礼ながらホントにあなたが監督?

JP「アハハ、ホントよ。40パーセントが新たに撮り下ろした映像です。シドニーのオペラハウスでワールドプレミアした時、7歳の子が『あれはCGですか』としつこく聞いてきたけど(笑)、全部ホンモノよ」

〜〜74分の映画なのに、タイトルが出るまで10分以上かかる。それはまるで美術館の受付でチケットを買って、長いエントランス後にようやく1枚目の絵画に出会ったような気持ちになりました。それも突然モノクロの巨大山脈だったので息がつまるほど圧倒されました。

JP「昨夜もプロデューサーと、タイトルが出るまで10分もあったのね、と思い返していたの。この映画の特異な世界観にしっかりと入り込むまでには時間が必要だと思ったからよ。タイトル部分をモノクロにしたのは、人間と山との関係性が歴史とともに大きく変化していったということを表現したため。目をこらすと、モノクロの方が山特有の表情を伝えやすかった。そう思うはずよ。それにしても、美術館の例えは嬉しいわ」

〜〜美術館を例えにしたけど、ここにジェニファー監督のセンスが光りますね。一枚一枚の絵に題名、年代、説明が一切無いこと。つまり、どの山のエピソードにも山名がなければ、国名すら無い。登頂している人の名前もプロフィール、目的すら語られない。そんな見せ方に監督のセンスを感じました。

JP「私には人間と山の関係を描くにあたって、それが誰でどこの山なのかなんていちいち説明する意味が無かったの。一般的なドキュメンタリーであれば、ひとりの人間にフォーカスしてその生き方、生きがいを描いていくのだろうけれど、この映画は違う。エベレストだろうと、アラスカだろうと、人間と山の関係性がテーマだから具体的な名前や説明はいらないと思ったのよ」

〜〜見る者の感情や五感に任せるということですね?

JP「ニオイは感じないでしょうけどね」

〜〜いやいや、ニオイも感じましたよ! 傷ついた指先の匂い、足止めをくらい、湯気が充満したテント内で身体中から立ち昇る汗の匂い、それに極限下での生活臭まで。あたかも自分がその場にいるような錯覚を覚えたほど、ね。

JP「監督冥利につきること言ってくれてアリガト(笑)。そこまで描き切れたのは、なぜ命の危険を冒してまで山に登ろうとするのかを一緒に体感してもらいたかったからです。痛みを伴うけど、想像できないくらい美しい体験が得られるだろうことを知ってほしかったから」

〜〜ここで日本人的な質問をひとつ。

JP、神妙な顔つきで「えっ、なに?」

〜〜20数年前、ある日本の政治家が「自己責任」と「自立」について述べているんです。アメリカとの安全保障条約を考える意味でね。アメリカの観光名所グランド・キャニオンが、もし日本にもあったら、「ここからは立ち入り禁止」とか「キケン、危ない」とか何百何千もの立て看板だらけになっていただろう、という仮説。いくら自己責任だとしても日本人は危険とされる場所には、それがたとえハイキング・コースだとしても決まりを守ることが美徳とされている。

だから、自己責任ですから! と、絶壁からムササビ姿で飛行する若者を見ると複雑な心境なんです。

JP「正直、映画にも登場するそうした人たちの気持ちはさっぱり理解できませんでした。きっと、アドレナリン中毒なのでしょう。自己責任といえども、極端な形で山に関わる人間を登場させることも必要だと思ったのです。ただ、映画に登場したふたりのジャンパーがその後、事故で亡くなったと聞いた時はショックでした」

〜〜そうでしたか。。。。

この自己責任論ともうひとつ、「安楽死、尊厳死」というテーマも頭をよぎったのでお話ししてもいいですか?

JP「あっ、それがインタビュー前に話が出た45年前のSF映画のことですか?

興味津々です。伺いましょう」

〜〜1973年のアメリカ映画、「ソイレント・グリーン」です。舞台は、2020年のニューヨーク。人口増加と大気汚染で食糧危機の中、謎の食品ソイレント・グリーンが大流行しているんです。その食品の正体を探るのが、チャールトン・ヘストン。あっと驚く食品の正体は、今後DVDで見ていただくとして、、、

JP「あら、教えてくれないの?」

〜〜はい。今回お話ししたいのはヘストンと同居するエドワード・G・ロビンソン扮する老人のこと。映画では、60歳を過ぎると安楽死を推奨される時代なんです。ヘストンのお荷物にならないようにと安楽死を選択するのですが、『クレイジー・フォー・マウンテン』を見て、その安楽死のシーンを思い出しちゃったわけです。

JP「どんなシーンなの?」

〜〜360度スクリーンの真ん中に椅子がひとつ。そこに投影される映像は、大気汚染で今では見られなくなった大自然の姿。山、山、山、溢れるほどの大自然。草原から小川のせせらぎまで映し出され、それを懐かしく眺めながら薬物投入され息を引き取るんです。大自然の映像とともに大音量で流れるのがベートーヴェンの交響曲「田園」!

JP「あら、『クレイジー・フォー・マウンテン』ではヴィヴァルディの『四季』やベートーヴェンのピアノ協奏曲などの荘厳な調べを使用しているから似ているわね」

〜〜ね、雄大な山岳映像と名曲クラシックの融合という部分、「ソイレント・グリーン」の安楽死シーンを彷彿とさせるでしょ。

そうそう、ナレーションがウィレム・デフォーなのも特筆ですね。

JP「チェロのようにどんな場面にも馴染むような声質の持ち主。そして山々に暮らしていそうな感じの人の声。デフォーはぴったりでした。表現者としても、ハリウッドの大作(プラトーンやスパイダーマン)から独立系の小品(フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法)まで自身の直感で出演作を選んでいる。そんなデフォーの映画に対する見極め方が素敵なんです」

〜〜ウィレム・デフォーがナレーションを務めてくれたなんて、彼の長年のファンとして、羨ましい限りです。

ますます、この『クレイジー・フォー・マウンテン』が好きになりました。

欲を言えば、プラネタリウムやIMAXといった大画面で再見したくなりますね。

JP「ここだけの話(笑)、今後IMAXバージョンも考えているんです」

〜〜そーなんですかぁ! そこでなら私は安楽死してもいいか。。。

JP「。。。。」

(文/取材 武茂孝志

『クレイジー・フォー・マウンテン』
(C)2017 Stranger Than Fiction Films Pty Ltd and Australian Chamber Orchestra Pty Ltd

7月21日(土)より新宿武蔵野館・シネクイントほか全国順次公開

● 原題:『MOUNTAIN』

●監督・製作 ジェニファー・ピードン

● 音楽:リチャード・トネッティ、オーストラリア室内管弦楽団

● 脚本:ロバート・マクファーレン

● ナレーション:ウィレム・デフォー

● 撮影:レナン・オズターク

● 撮影場所:南極、アルゼンチン、オーストラリア、オーストリア、ボリビア、カナダ、チリ、フランス、グリーンランド、アイスランド、インド、イタリア、日本、ネパール、ニュージーランド、パキスタン、パプアニューギニア、スコットランド、南アフリカ、スイス、チベット、アメリカ