とりたてて好きでもない街が、映画の中に登場したとたん無性に懐かしい街になることがある。この『深夜食堂』の舞台になる新宿がそうだ。西口の大ガードの下をくぐって歌舞伎町方面にすべるように向かうカメラには、雑踏の埃も排気ガスもまとわりつかないからだろう。まるで聖域に運ばれていくような緊張と安心感を覚える。そこに食堂のマスター(小林薫)の口上がかぶさる。
評判を呼んだテレビドラマの劇場映画化。深夜12時に開店する「めしや」には様々な客がやって来る。まずは常連客が好む赤いウィンナー炒め、卵焼き、お茶漬けの温かさに包まれる。そして見慣れない客が現れて注文するメニューに目を細めながら、それに伴うやや苦い人生を味わう。
テレビは30分のショートストーリーだが、長編映画には違う工夫が求められる。いくつかのエピソードがつづられるが、それらを繋ぐ強靭な糸が必要だ。それはなんと客が置いていった骨壺である。警察に届けたものの、また引き取ってお寺で供養してもらうマスターを見ると、彼の胸の中に潜むものがほのかに浮かびあがる。この人柄が料理ににじみ、客の心の支えになるのである。
マスターが腱鞘炎になるエピソードがある。料理作りに苦労する彼を助けるエンゼルのような娘(多部未華子)が無銭飲食者として登場する。2階に起居して店を手伝うことになった彼女は料理の腕を上げ、ついには新橋の料亭に雇われる。マスターに気のある料亭の女将(余貴美子)のやきもち半分の厚意である。エンゼルの登場で、マスターの日常を垣間見ることもできる。
しんみりしたちょっといい話、では済まないエピソードもある。東日本大震災の津波で妻を失い、心を閉ざした中年男(筒井道隆)が、ボランティアの女性(菊池亜希子)に恋して追いかけてくる。彼女の作ったカレーに特別なものを感じたのだが、彼女のほうは「被災者とボランティアのままでよかった」と落ち込み、彼のプロポーズをきちんと断ることもできない。厚意を好意と受け取り、恋が燃え上がっても相手を苦しめる。ひとり相撲をする男心を笑えない。
監督は『さよなら、クロ』(03)『歓喜の歌』(08)の松岡錠司。テレビ版の演出を手掛けながら映画化を望んでいたそうで、ペーソスとユーモアはそのままに、映画ならではの踏み込みの深い演出を見せる。数人のコーラスが大合唱になるように、物語の枝葉が伸びて絡まり人間模様が鮮やかになった。突然登場してマスターに謝罪する女(田中裕子)は、映画ならではの珍味のようだ。
何度食べても食べ飽きない料理がその人にとって最も貴重なものであるように、何回見ても見飽きない映画がその人にとっての貴重品である。細部の丁寧なこしらえを味わうために、また『深夜食堂』に通うことになりそうだ。
(内海陽子)
映画 深夜食堂
2014年 日本映画/ドラマ/監督:松岡錠司/出演・キャスト:小林薫、高岡早紀、 柄本時生、多部未華子、余貴美子、筒井道隆、菊池亜希子、田中裕子、オダギリジョー他/配給:東映
、2015年1月31日(土)全国公開
『映画 深夜食堂』 公式サイト http://www.meshiya-movie.com/