北欧映画は進化している。奥が深い。お洒落でもある。『わたしは最悪。』は、粒揃いの北欧映画の中でも、最高の部類の映画だ。タイトルにこそ「最悪」と、入っているけれど。
「母の残像」「テルマ」のヨアキム・トリアー監督作品。プロローグと、エピローグに挟まれた12章で描かれるのは、主人公のアラサー女性ユリアの恋と迷いと葛藤。ユリアの、自分であろうとする心意気、そして自分と寄り添おうとする強い意志が、作品を独特の色に染めている。
主演のユリア役のレナーテ・レインスヴェは、第74回カンヌ国際映画祭で女優賞に輝いた。プロローグ前の最初のシーンでは、ユリアは、街を見下ろすバルコニーでタバコを吸っている。そのフォルムの美しさは、一編の詩のようだ。ユリアは若くて生き生きとしている。何をしようと、ギリギリ路線の大人描写があろうと、ずっと美しい。
プロローグのインパクトの強さにも注目だ。ユリアは成績優秀者として医者を目指していたが、楽しくない。だから辞める。次に心理学を専攻する。それも続かない。カメラマンの方が向いているかもと思いつく。新たな生活を始める度に、新たなボーイフレンドと出会う、そして別れる。
これでいいのか、よくない。だから変える。何を望んでいるのかを追求し続ける。その放浪の日々が、短いプロローグで描かれるのだ。
年上のグラフィックノベル作家アクセル(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)と出会ってから、それが一旦終わる。本編の12章がスタートする。12章は、それぞれタイトルがついていて、それぞれが一本の映画になりそうなほどに中身が濃い。
前述の、バルコニーシーンは本編の中盤に登場。彼女は揺らぎ始めている。そして、潜り込んだパーティで、新たな男性と出会う。アクセルとはまだ続いているし、相手もパートナーがいるため、崖の淵で踏みとどまる。セックスはしないけれど、秘密の欲望を叶えあうところが、実に大人。滅多に映画でも描かれない行為だったりする。
そして、映画の中でも最も印象的なシーンが、ふわりと置かれる。時間をストップさせ、その時一番望んでいることを叶えるシーンだ。そのシーンは、2020年・第57回金馬奨で作品賞等5部門に輝いたラブストーリー、『1秒先の彼女』をそのまま拝借しているようでもあるけれど、詩情性は凌ぐ。
その後、もちろん彼女は、欲望を叶える方向に動く。実にユリアらしく。ところが、その辺りで、ヨアキム・トリアー監督が描きたい世界がゆっくりと姿をあらわにしてくる。
女性を描いているように見えながら、実はこの映画は男性から見た人生が主軸だったのだ。同時に、女性と男性の関係性も、うっすらが浮かび上がる。女性を賛美しつつ、自分自身を描く。その隠れた二重性が胸を打つ。
それは、美しく気ままだったユリアが、大人になり、たくましくなり、女性の強さを発揮していく流れであり、その対比として、男性の姿が赤裸々に見えてくる様子だ。
特に後半、コミック作家のアクセルの本質が立ち上がってくるところが、感動的だ。アンデルシュ・ダニエルセン・リーの姿は、映画の中で言及される『狼たちの午後』のアル・パチーノを彷彿とさせると言ったら、言い過ぎだろうか。
『わたしは最悪。』の精緻に整えられ、見えない部分まで感じさせる奥行きの深さは味わい深い。北欧映画は、ほかの国々の映画とは少し違う。はみ出したような乱雑な部分をも寄木細工のように端正に見せてくれる。ぜひ北欧映画の世界を味わってほしい。
わたしは最悪。
7月1日(金)より
Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、
新宿シネマカリテ他全国順次ロードショー
原題:The Worst Person in the World
配給:ギャガ
監督:ヨアキム・トリアー 『テルマ』(17)、『母の残像』(15)
脚本:ヨアキム・トリアー、エスキル・フォクト
出演:レナーテ・レインスヴェ、アンデルシュ・ダニエルセン・リー、ハーバート・ノードラム
© 2021 OSLO PICTURES – MK PRODUCTIONS – FILM I VÄST – SNOWGLOBE – B-Reel – ARTE FRANCE CINEMA/2021 /ノルウェー、フランス、スウェーデン、デンマーク/カラー/ビスタ/5.1chデジタル/128分/字幕翻訳:吉川美奈子/後援:ノルウェー大使館 R15+