『恋は光』映画レビュー

探求映画は楽しい。『恋は光』の場合、探求するのは”恋”とは何ぞや? ということ。わかっているようで、わからないミステリアスな”恋”。

わかっているのは、”恋”という言葉を思い浮かべるだけで、胸がほんの少し温まること。嬉しいようなくすぐったい気分が湧き上がること。それは私の場合。

『恋は光』は、そんな個人的、かつ普遍的な”恋の定義”が、山とでてくる。つまり、最初から最後まで温かさや嬉しさやくすぐったさを感じ続ける。これはかなり珍しい体験だった。

『恋は光』は、集英社「ウルトラジャンプ」で連載された秋★枝の同名コミックを「殺さない彼と死なない彼女」の小林啓一監督が映画化している。映画としての独特の空気感は透明度が高く、新鮮な風がゆっくりと吹き抜けるような感覚がある。

一方、恋の真実には辛辣なところもある。それも存分に描かれる。自分とは違う存在との出会いが、何をもたらすのかは、後にならないとわからない。恋は甘くてワクワクするだけのものではない。残酷で、自分すら知らない素顔をむき出しにする。『恋は光』には、恋のすべてを描き尽くそうという決意が作品から放射されている。

大学生・西条(神尾楓珠 かみお ふうじゅ)は、「恋をしている女性の周囲に光が見える」という特質を持っている。だからなのか、恋愛とは無縁。お堅い性格もあり、幼馴染の北代(西野七瀬)には”先生”と呼ばれている。

北代も西条のことが好きだったが、北代には光が見えないため、西条にとっては、まさか北代が自分に恋しているとは思いもしない。西条が一目惚れをした相手は、東雲(平祐奈)。彼女は、”恋というものは何か”を一心に探求している文学少女だった。

東雲にアプローチする手段として、西条は”交換日記”を提案する。テーマは”恋の定義”。そこに、宿木(馬場ふみか)も交換日記のメンバーとして名乗りを上げる。宿木は、恋人がいる男性ばかり好きになってしまうタイプだ。西条の彼女が。北代だと誤解して、略奪を企てるのだ。西条を取り巻き、北代、東雲、宿木が囲む四角関係が勃発。果たして西条を射止めるのは最終的には誰なのか。

生々しさを抱えつつ、映画は、爽やかでファンタジックな風を持続させる。最後には”恋の定義”が語り尽くされた充実感と、ポッと光が胸に灯ったような温かさが残る。

(オライカート昌子)

恋は光
6月17日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開
配給:ハピネットファントム・スタジオ/KADOKAWA
©秋★枝/集英社・2022 映画「恋は光」製作委員会