© 2009 BOO PRODUCTIONS GREEK FILM CENTER YORGOS LANTHIMOS HORSEFLY PRODUCTIONS – Copyright © XXIV All rights reserved
ヨルゴス・ランティモス監督による衝撃のギリシャ映画(2009年作品)。第62回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門でグランプリを獲得、第83回アカデミー賞では外国語映画賞にノミネートされた。父親の妄執で、外界から隔離され家の中だけで育った子供たちの生活を描くホームドラマ。

前衛的でシュールで、ミヒャエル・ハネケ的とも評されており、個人的には初期のフランソワ・オゾンに似たものも感じた。映画が始まって30分くらいは何が起きているのかよく分からない。例えば、子供たち(高校~大学生くらい)の言葉遣いがおかしい。食卓にある食塩を指し、「ママ、”電話”を取って」などと言ったりする。その後も「ゾンビって何?」「黄色い小さな花のことよ」などという会話が登場し、やがて、両親の曲がった愛情が子供たちに異常な生活を強いていることが分かってくる。が、この家族はそれなりに幸せな毎日を送っている。プールつきの広い庭で泳いだり、駆け回ったり。食事も美味しく楽しい。ただ、父親が息子のために「性欲処理機」として外から連れてきた女性が、この一家にある変化をもたらしていく。

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瞬間的にショックを与えるような描写はなく、映画の展開は冷静すぎるほど淡々としている。「性欲処理機」の女性の存在も、何か具体的な事件を起こすわけでもなく、無意識のうちにじわじわと静かな影響を与えていくだけ。両親や子供たちのキャラクターも一見したところ普通だが、閉鎖的な環境にいるせいか性的関心の対象がおかしな方向に向かっている(そもそも父親が”性欲処理機”を与えることが普通じゃない)。ラストで娘の一人がある決断をくだし、実行に移したところで、唐突に映画は終わる。

家族団欒というものは、他人が入り込めない、ある意味閉鎖的な空間だ。その家族の中で決められたルールは、外からどう思われようと家族間の常識であれば常識なのだ。特に親の権力というものは絶対で、「父がそう思うなら正しい」と子供に教え込むことは、通常どの家庭にも見られる現象だ。その中で子供たちは親に対し、ときに抗い、ときに尊敬しながら成長し、自立に向かっていく。この映画は極端な形で、その葛藤を表している(気づいたのは、あの娘だけなのだろうか?)。

終盤の奇妙なダンスシーンは一度観たら忘れられないだろう。
(池辺麻子)

籠の中の乙女
8月18日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開!!
配給:彩プロ
公式HP: http://kago-otome.ayapro.ne.jp/