『先生と迷い猫』映画レビュー

(C)2015「先生と迷い猫」製作委員会
(C)2015「先生と迷い猫」製作委員会
 十年前の冬の長崎市。稲佐山で野良猫を見かけて手を差し伸べたら、そのうちの一匹が夫の背に飛び乗り、そのままうずくまった。暖を取ろうとしたのか、甘え上手だった。片方の前足が白い茶トラの子猫で、写真に収めたらのこのこついてきた。ロープウェイの関係者や観光客に可愛がられて警戒心が緩んでいるのだろう。稲蔵と勝手に名付けて、わがヴァーチャル家族の一員にした。

  こんな前ふりをしたのは『先生と迷い猫』に登場する猫がいくつもの名を持っているからだ。稲佐山の稲蔵も、ほかにいくつもの名を持っていたに違いない。みずから飼う気はないが野良猫を可愛がる人間がいることを、野良猫側はどう思っているのだろう。この映画の三毛猫の人を見透かすような眼は、そんなことを考えさせずにはおかない。彼女は人に可愛がられているというよりも、きっと人を支配し、慰撫しているのである、非常にクールに。

  孤高の、というよりは単なる嫌われ者の元校長先生(イッセー尾形)の家に、野良猫のミイは毎日やって来て、亡き奥さん(もたいまさこ)の仏壇の前に座り込む。ミイは近所の美容院ではタマコと呼ばれ、先生の教え子にはソラと呼ばれ、女子中学生にはちひろと呼ばれている。ある日、ミイが来なくなって先生はにわかに気になり出す。矢も楯もたまらず探し始めた先生は、ミイにいくつもの名があることを知り、世間を知り、頑なだった自分に気づく。そして協力してミイを探すことで、いやおうなく町の人々に心を開いていく。

  イッセー尾形のさりげない熱意を感じさせる演技は文句なく素晴らしく、美容院店主の岸本加世子のほどよい生活感が心を和ませる。売れっ子、染谷将太がおっとりと演じる市役所職員もいいし、ピエール瀧が演じるこだわりの雑貨屋店主もいい。ありふれた日常に潜んでいることがいかに重要であるか徐々に分かってくる。世界は個人が思い込んでいるよりもずっと大きく豊かである。

  ヒロインの野良猫は自分の死期を悟ってどこかへ去って行ったのだろうか。その前に、拒絶する先生の家に上がり込もうと執拗にせがむシーンがあり、せつない別れの想いを感じる。このときだけわたしは彼女に強く感情移入した。

「最近、私はよく叱られる」と先生が満更でもなさそうにつぶやき「校長先生、変わりましたねえ」と美容院店主が笑う。なんだかひとつの家族が出来上がっていくようだ。一匹の野良猫の失踪が人々の心を騒がせ、幸せにする。当の猫はそんなことは人間たちのセンチメンタリズムだとでも言わんばかりに、どこかで何食わぬ顔をして生きているのかもしれないけれど。

 得もいわれぬ快い光の中で奥さんとミイの思い出を抱きしめる先生に、奥さんはやさしく寄り添う。いつかまた一緒になる日まで先生はきっと心穏やかだ。
                              (内海陽子)

先生と迷い猫
2015年10月10日全国公開
オフィシャルサイト http://www.sensei-neko.com/