ツリー・オブ・ライフの画像
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映画には純粋に楽しい時間をすごせるものもあるし、考えさせられるものもある。そして映画でしか体験できない、稀有で濃密な時間をすごさせてくれるものもある。伝説の巨匠監督、テレンス・マリックの新作映画『ツリー・オブ・ライフ』は、紛れもなく、稀有な時間を与えてくれる映画だと思う。

楽しい映画でないのは確かだ。叙事詩的に描かれるCG満載の前半20分(体感的に)は、壮大で美しくもあるけれど、人によっては嫌悪を感じるだろう。(本音を言えば、私にも苦痛だった)なぜなら、この映画がどこへ行くのか、いつまでこのストーリーのない詩的宇宙史が続くのか見えてこないからだ。

映画にはストーリーがあるべきだという固定観念がまずある。早く話が進んで欲しいとばかりにうずうずしてくる。そんな観客の期待に答えるどころか、伝説的巨匠は、悠々自適に映画とはこうであってもいいと、独自で完璧な映画世界を、独特のリズムでつむぎ続ける。

ようやくストーリーらしきものが展開してくると、もう観客は監督の手のひらで踊らされているようなものだ。すっかり術中にはまってしまう。わたしなんて端正に練り上げられた美しくて感情的な場面の一つ一つにうっとりさせられてしまったぐらいだ。

この映画は入れ子状になっていると思う。まず前半20分の例のCG場面、その入れ子の中にショーン・ペンが演じる男の現代の世界がある。そしてその内部に、男の子供時代がある。例の20分を過ぎた後、映画で描かれるのはほとんど子供時代だ。真に見ごたえがあるのも。

テーマ的に考えれば、CG場面や男の現代の世界が大切にも思える。でも監督が精魂こめて最大限の力で描き出したのは、子供時代の光景だ。哲学的で深遠で宗教的に見えるテーマも子供時代のシーンの一つ一つを際立たせるためだったのではないかと思うほどだ。

少なくとも私にはそう思えるし、あれほど印象的で忘れがたく、美しく感情的なシーンの数々はいまだかつて見たことがない。それほど稀有で濃密な体験だった。(オライカート昌子)

ツリー・オブ・ライフ
オフィシャルサイト http://www.movies.co.jp/tree-life/