抱きたいカンケイの画像
(C)2011 DW Studios L.L.C. All Rights Reserved.2011年4月22日 新宿バルト9ほか全国公開
アカデミー主演女優賞を『ブラック・スワン』で授賞し、今一番の注目女優であるナタリー・ポートマンが『抱きたいカンケイ』で挑むのは、初のラブコメ。ナタリー・ポートマンが挑戦する役であるから、よくあるラブコメのヒロインとは少し違う。

まず、10代のときから、「私って変わってるの」と言ってはばからない。何度か偶然の出会いを重ねるアダムも、「僕もだよ」と言い返すのだが。変わってる二人の関係は、一般の恋愛とは逆さまに始まる。

「朝でも夜でも、お互いをセックスのために使うのよ。それだけの関係」と、デートや、見つめあいなどの付き合いの段階をすべて禁止して、セックスフレンドの関係を結ぶ。

医者として一日中働くエマにとっても、テレビスターの父の恋愛に振り回されるアダムにとっても快適で理想的。そのような関係は、現代ではありふれているのかもしれない。人間関係の面倒くささを省き、欲望を満たすだけの関係はお手軽で便利この上ない。

もちろん、お手軽さを優先したとしても、それが最後まで快適であるとは限らない。快適さを追求したら、やはりそのうち幸福を手に入れたくなるのが人間だ。それでもエマは、自分の課したルールに忠実であろうとする。

というより、本当に自分に必要なものをあえて見ないようにしていると言った方が正確だろう。嫌な思いをするだろうから。勇気が要るから。今まで放っておいた自分の一番醜い秘密が露になるかもしれないから。

ナタリー・ポートマンの完璧で絶妙な演技力とあいまって、そこに映画の一番のみどころがあるといっていいだろう。今までの自分を乗り越えるための一歩を踏み出すためには、一番見たくない自分を見なければならない。その部分は目を逸らさせる天才だし、それを見ないでいるためには、人は何だってする。それでも乗り越えるのは自分だ。自分に必要なものを取りに行けるのは自分だけだ。

恥も恐怖も乗り越えるエマの姿に励まされる。心地よいラストは、ラブコメの枠を超えて、人生論のようなビターな味わいとともに、心地よく私たちに勇気と元気を与えてくれる。

アシュトン・カッチャー演じるアダムは、お茶目で包容力があって、優しくて暖かい、一種理想の男性だ。気負いなくさらりと演じ、ナタリー・ポートマンを立てながらいところを引き出すあたり、なかなかの演技巧者。今後の2人の今以上の活躍に注目だ。