
タリバン政権崩壊後の混乱したアフガニスタンでのテロや攻撃が繰り返される日々から逃れ、イランのテヘランで違法難民として暮らす少女ソニータ。マイケル・ジャクソンやリアーナに憧れ、日々をラップに乗せて歌う才能溢れる少女です。ところが。何年かぶりに故郷からやってきた母は、彼女を見知らぬ男性に嫁がせようと画策。果たしてソニータは人生を変えることができるのでしょうか。この作品について、内海陽子、オライカート昌子の二人が対談を行いました。
みんながみんなチャンスをつかめるわけじゃない
内海:貧しい国というか、しきたりの問題もあるけれど、貧しいゆえのしきたりが存在するわけじゃない? 娘はお金で売られていくのが当然というような。日本だって昔、東北地方の寒村などでは子供を売ったんですよね。
オライカート;西日本の「からゆきさん」もそうですね。
内海:私の祖母は栃木県佐野の生まれで、製糸工女として奉公に出され、なかなか優秀だったようですが、三回も脱走したそうです。工場側は、娘を雇うときに親にお金を払っていますが、逃げるということは、なにか理不尽なことがあったんだと思います。三回目は渡良瀬川を泳いで渡ろうとしていたら、親切な男の人が渡し舟の渡り賃を出してくれたんだって。その人のことは一生忘れないと言っていましたね。
タリバンのおかげと言ったら語弊があるけれど、ソニータちゃんは、タリバンの侵攻によってアフガニスタンからイランに逃げたことによって、自立のチャンスをつかんだんだなと。不思議なことですよね。みんながみんなそんなチャンスをつかめるわけじゃない。
オライカート:逃げてきている子たちもみんな買われて結婚していますよね。逃げてきたのに。それはそれで彼女たちにとっては当たり前のことだから。
内海:結婚して、相手とうまくいって幸せだっていう子もいるんだよね。
オライカート:そうそう。
オライカート:ソニータの場合はそうですね。普通はそこまで非道な世界ではないと思うのです。
内海:アフガニスタンのことは、よくご存じなんですか?
オライカート:いえいえ、アラブ社会一般を見たときに、です。ドーリという結婚金が必要なので、結婚は買われるような形ではあるけれど、本人の意思を無視してということはあまりないのではないか。ソニータの場合は、お父さんもいない、お母さんはお兄さんの元にいる。アフガニスタンのカブールは、映画で言うと『アイ・イン・ザ・スカイ』のように過酷で、彼女の置かれた状況は非常に良くないのです。ですが、ふつうはそれほど悪い状況とはいえない。とはいえ、”買われる”というのは事実です。
内海:お母さんはお兄さんのところで暮らしている。お兄さんがお嫁さんを買いたい。そのためにお金が必要になり、娘を売ろうとしている。あの感じが、その土地のしきたりと言ってしまえばそれまでなんだけど、母親ってすごいなあと思いました。
オライカート:母親にとって息子というのは特別なもので、恋人のようなものだから。で、娘は常にライバル。
内海:母親としての立場で、このお母さんについてはどう思われました?
オライカート:娘に「お母さんはお金のことを言っていれば大丈夫だから」と言われ、いろいろなことを内緒にされていて、完全に見透かされている。ある意味かわいそうに思いました。
お母さんには居場所がない。夫もいない。だから息子の家にいるけれど肩身が狭いから言いなりになるしかない。あのような田舎の社会では家族の意思というより男の意思が強いと思うんです、お母さんは意見も言えない。本当にかわいそうです。自分があまりにもひどい状況にいると、誰に対しても優しくできない。アフガニスタンからイランにやってきて、ソニータに会いますが、ずっと会っていなかった娘を売ろうとするんですから。
内海:ソニータが「お母さんの歯を治してあげたい」「美人にしてあげたい」と、ほろっとさせることを言いますね。お母さんが好きなのね。
賭けがあたった奇跡的映画
この映画の良さって、監督がちゃんと自分のほうへカメラを向けるところにある。意地悪く言うと、ある意味でやらせドキュメンタリーになってしまっているわけだけど、それをちゃんと引き受けているところに感心しました。フェアだと思いました。純粋に客観的に人を映し続けることはできないんだと。ドキュメンタリストとしては、ある意味断念したところがあると思う。
それよりも、ソニータの人生を良い方向へ持っていこうという方に自分は加担しようと決める。そこに感動がある。ドキュメンタリストとして野心を持っていれば、それはしない。運命に任せるしかないんだけど、彼女は加担しちゃう。そこがわたしは女性のいいところだと思う。
オライカート:奇跡的な映画ですよね。初めのうちは、苦境にある少女の日常を描いたよくあるドキュメンタリーに見えます。彼女の持つ輝きもゼロで「幸運チケット売りますよ」と歌っても、そんなに優れているようには見えない。
それがラストには、完璧に別人になるじゃないですか。成長物語として見ることができる。で、上手くいったから良かったけれど、場合によっては途中で彼女が消えてしまう危険もあった。もう会えなくなっていた可能性もあったから、監督はどうしても手を差し伸べる必要があった。彼女の人生も夢も壊れてなくなってしまうから。それが最後まで見るとすべて上手くいった。
内海:もしかしたらこれは壮大な作り話かもしれない、作為があるかもしれないと思ったんですけれど、途中から凄くハラハラして、これは信じようと思いましたね。生きるというのは、これぐらい分かれ道が次から次へと現れる。で、多少なりともプラスの道を歩んで行きつつある女の子の物語ですね。わたし自身が、いくら年をとっても以前は女の子だったから、そういう不安な気持ちがよくわかる。そしてきちんと生きようと思えば、きっと大丈夫なんだなと、そういう励ましを与えてくれますね。描写の過程で多少懐疑的な部分はあったとしても、当たり前な力強さがあって、感動させられます。
母親の登場が映画の状況を換えるスイッチとなった
内海:ずいぶん訓練したのよ。それはあえてカットしている。そしてそれが賢い。スポ魂ドラマじゃないんだから。そしてソニータも必死だったと思う。カメラもあるから、彼女も能力を磨いたのよね。そのあたりをじゃんじゃん入れたらそれこそ眉唾になってしまう。生き延びて脱出するためには本当にいいものを演じなければいけない。つまり名女優で、名歌手になる素質を持っているとアピールすること。もともとの素材として優れていたんでしょうね。そこは監督が伊達にドキュメンタリー制作をやっていないわけで、素材を発見する力がまずあったんだと思いますね。そこから先は賭けですよね。
オライカート:その賭けの感じのライブ感がとてもいい。さっきも言いましたが、初めはそんなに面白くない。どうしてかというと悪人がいないから。お母さんが登場してからとても面白くなる。それまではソニータの日常を描いた、普通のドキュメンタリー。興味がないとは言いませんが。そこに悪役が登場したところから、話に驚きと深みが生まれ、興味を引くところがいっぺんにくる。
内海:悪役というか、ドキュメンタリーにおけるスイッチね。状況を変えるスイッチ。それにしてもあのお母さんはよくお出ましになりましたよね。
オライカート:あの実在感というか。
オライカート:親を超え、文化や歴史を超えていくから感動させられます。
内海:親を越えるというより、親を捨てるのよ。捨てるから辛さがある。
オライカート:捨てたとしても体の中には残っている。そしてそれが違う場所へ行き、違う文化と出会ったときには再び融合して違うものを生み出す。そして彼女はそれを自覚しているんだと思います。
ソニータ
2017年10月21日(土)アップリンク渋谷他にてロードショー
監督: ロクサレ・ガエム・マガミ
出演: ソニータ・アリザデ
ロクサレ・ガエム・マガミ
配給:ユナイティッドピープル
2015年/スイス・ドイツ・イラン映画/91分/ドキュメンタリー・音楽
公式サイトhttp://unitedpeople.jp/sonita/