『あしたの少女』映画レビュー 涙を愛おしさに変えるひとすじの陽光 

涙が止まらなかった。悔しいだの、悲しいだのといった理由だけではなく。映画『あしたの少女』は、勇気を駆り立てる。彼女たちに対する愛しさを抱かせる。ひとすじの陽光が、彼女たちの足元を照らしているように、

『あしたの少女』は、二部構成だ。社会派ドラマという形をとりつつ、一部は、青春ドラマであり、二部は、刑事ドラマでもある。一部と二部が重なり合う手法は、記憶に残る豊かな体験をもたらしてくれる。

『私の少女』のチョン・ジュリ監督作品。ペ・ドゥナが刑事ユジンを演じている。ベースになっているのは、実際に起きた事件。だが、実話がもたらす生臭さはなく、昇華仕切った映画として、完成度が高い。

ダンスを楽しみ、友人とも遊び、17歳という若さを謳歌していたソヒ(キム・シウン)。彼女に変化が訪れる。仕事の実習で大企業の下請けのコールセンターへ行くことになったのだ。

そこで待っていたのは、大人の現実という世界。ノルマ、競争、数字をあげるための必死の努力、それは彼女が初めて体験するものだった。

電話で解約を申し出てきた客の話を聞き、時間をとり、思いとどまらせる。上司は、これは、マインドコントロールの仕事だ、と言い切る。おずおずと足を踏み入れながら、ソヒは、私生活を犠牲にしながら、自分のできる限りのことをやり切ろうとする。

支社のため、会社のため、同僚のためと、周囲のプレッシャーはきつい。辞めるならやめるで、周囲に迷惑をかけてしまう。ソヒは、仕事の成績を上げるコツを身に着け、一位を勝ち取るが、許せない事態が起きてしまう。

脚本がいい。こちらが疑問を抱くなり、それはセリフや映像としてリズムカルに応答してくる。映画と対話しているような感覚だ。その秀逸性は、一部と二部の関わりぐあいの繊細な描写にも現われている。

ひとすじの陽光、ダンスは、明るい面。一方の暗い面は、人をがんじがらめにするピラミッド式社会構造。それはソヒや刑事のユジンだけでなく、私たちを含めた世界中の人々の多くが感じる生きづらさの正体だ。それに対抗する方法はあるのか。

一人だけど、見えないレベルでつながっている。過去も現在も未来も超えた次元で。ひとすじの陽光は、それをひそやかに思い出させてくれる気がした。

最後に誰と誰がつながるのか、この映画のラストは特に印象深い。

ところで、『あしたの少女』というタイトルは、挑戦的で謎めいている。応答せよ、と未来の私たちを、挑発してはいないだろうか。

(オライカート昌子)

『あしたの少女』
8月25日(金)より、シネマート新宿ほか全国公開
配給:ライツキューブ
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■スタッフ・キャストクレジット
監督・脚本:チョン・ジュリ『私の少女』
出演:ペ・ドゥナ、キム・シウン
   チョン・フェリン、カン・ヒョンオ、パク・ウヨン、チョン・スハ、シム・ヒソプ、チェ・ヒジン