『MOTHER マザー』映画レビュー

(C)2014「マザー」製作委員会
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 その名を口にしただけで、何かまがまがしいものが背後に忍び寄る恐怖漫画の大作家、楳図かずお。わたしは「へび少女」が特に忘れられないが、その楳図がついに映画監督デビューを果たした。どんなテーマを取り上げたかといえば“母親”。男は誰もがマザコンだそうだが、さすが9月に78歳を迎えた御大、少しも恥じることのない堂々たるマザコンぶりである。

 生い立ちを本にしたいと出版社から打診された楳図かずお(片岡愛之助)は、依頼を受け入れ母イチエ(真行寺君枝)について語り出す。美しく不思議な存在感のあった母の、特に死に際の言葉「自分のお葬式に行ってきたの…お礼参りに行ってきたの…」が彼を呪縛している。

  楳図の話を熱心に聴く新人編集者、さくら(舞羽美海)は彼の出身地へ取材旅行に出る。そこで遭遇する奇妙な出来事は、まさに“楳図ワールド”そのもので異様な恐怖感に包まれている。この時点で既に物語はさくらの“現実”なのか、楳図の“創作”なのかが不分明になっている。

 イチエが言っていた 「お礼参り」とは報復のことで、彼の親族は次から次へと不幸に見舞われる。楳図自身も恐怖に震えながら「母が実体化したんだ」とつぶやき、母の訪れをどこかで待ち受けるようなそぶりを見せる。思い起こすのはアルフレッド・ヒッチコック監督『サイコ』で、もしや楳図は母の遺体をどこかに隠し持っているのではないかと妄想する。幽霊どころか悪霊になってしまっても、彼が母を恋い慕う気持ちに変わりはないのだから。

 仕掛け人、楳図監督の思いを汲み取ったのだろう、真行寺君枝はためらいを一切感じさせない悪霊の演技を見せる。楳図が運転する車に飛び移って追いすがる攻撃力、白髪の下から黒髪が現れるときの、やや滑稽味を含むおぞましさ、さくらの危機をくいとめ、みずからは奈落に落ちていくときの意味不明の慈愛の表情。悪霊は美しくなければ本当の威力を発揮しないということを痛感する。

  母の報復心理には、父との葛藤があったことが示唆されるが、物語は納得のいく終わり方にならず、彼女の報復は続くようだ。どこからどこまでが“生い立ち”で、どこからどこまでが楳図の“創作”なのかがわからず、わからないままに、物語る力そのものに押し切られ屈服させられる。

  なによりすさまじいのは、実の母を“悪霊”に仕立ててしまうという楳図監督の創作力=決断力だ。それができるのは、もしかすると物語るうえで彼自身が母と一体化しているからかもしれない。自分がイチエだったらという仮定のもと、想像力の限りを尽くして亡き母と遊ぶ。縁起が悪い、不謹慎だ、バチが当たる、それらの概念をみごと蹴飛ばしてのける楳図かずおは、いっそ爽やかである。
                               (内海陽子)

MOTHER マザー
監督・原案:楳図かずお 脚本:楳図かずお、継田淳  
出演:片岡愛之助、舞羽美海、真行寺君枝、中川翔子(友情出演)
配給:松竹メディア事業部  製作:「マザー」製作委員会  

9月27日(土)新宿ピカデリー他 全国ロードショー!
MOTHER マザー 公式サイト http://mother-movie.jp/