自慢するようだが、わたしは10歳の夏休みにアルフレッド・ヒッチコック監督『サイコ』(1960)を観ている。両親が、映画館の「漫画映画大会」の週を間違えて連れて行ったせいだが、併映されたジョルジュ・フランジュ監督『顔のない眼』(1960)の恐ろしさが強烈で、『サイコ』のショックがかすむほどだったのをよく覚えている。誇るべきスリラー映画初体験だった。
本作は、すでに功なり名とげたヒッチコックが、製作会社が用意した企画より『サイコ』製作に固執し、屋敷を抵当に入れ、妻アルマの助言を仰ぎ、若い女優に心動かされ、映倫と駆け引きを繰り広げながら映画を完成させるまでを描く。「われわれには資金も時間もなかった、あるのはリスクだけ」という危機的状況を乗り切ったヒッチコック夫妻の愛と共闘の物語である。
相当な映画ファンでなければヒッチ(愛称)のことに興味を持たないという意見も聞くが、演じるのがアンソニー・ホプキンスとなれば話は別だろう。ヒッチの太鼓腹、下唇を突き出した喋り方、人を食った独特の雰囲気。それらを単にまねるのではなく、ホプキンス一流のアプローチで丸ごと包み込んでしまうかんじだ。しかも妻アルマを演じるのは『クィーン』(06)でアカデミー賞主演女優賞を受賞したヘレン・ミレン。クールで頭脳明晰、魅力溢れる初老の女傑を貫録十分に実在させる。この二人を観るだけでわたしは大満足だ。
ヒッチが金髪女優を好んだことはよく知られているが、『サイコ』でも、数年前にモナコ王妃になったグレース・ケリーの起用を切望したようだ。彼の執心にうんざりした(?)アルマが推薦したのがジャネット・リーで、この映画は彼女にゴールデングローブ賞助演女優賞をもたらした。演じるのは若手随一のあでやかさを誇るスカーレット・ヨハンソン。おなじみのシャワー室での絶叫シーンが何度も繰り返されると楽しくてしかたがない。
出来上がった『サイコ』の評判がわるく、夫妻が力を合わせて再編集に腐心するところが終盤のハイライトで、その後の宣伝展開においてもアルマのリードがいかに優れたものであったかがよくわかる。上映劇場での観客の恐怖の叫びは、どんな拍手や喝采よりも夫妻を幸せにしたことだろう。その幸福を共有できるわたしは、まるで映画にウィンクされるような快感を覚える。
(内海陽子)
ヒッチコック
オフィシャルサイト http://www.foxmovies.jp/hitchcock/
2013年4月5日 より TOHOシネマズ シャンテほか全国にて