ニューヨークの街角を肩寄せあって歩くハーブとドロシーのヴォーゲル夫妻は、どこから見てもごく平凡な老夫婦だ。まさかその彼らがモダンアートの名だたる収集家だとは誰も想像がつかないだろう。
時代も夫妻に味方した。彼らがモダンアートのコレクションを始めたのはその勃興期であり、中でもミニマムアートは“富裕ではない”収集家にも手が出せる手頃な値段で提供され、食うや食わずの新進アーティストにとって彼らは願ってもない“お得意様”だ。それからおよそ半世紀、現代アートの成熟と寄り添うように、ふたりは大学で美術を学び、アトリエに足繁く通って、アーティストの変化をじっくり見守ってきた。
「給料で買える値段で、アパートに収納できる大きさ」の美術品を収集する彼らには、コレクターというより“目利き”というほうがしっくり馴染む。作品を目にして、それまでの好々爺然としたハーブの眼差しが獲物を狙うかのように鋭く光る。「最高の作品を最低の金額で」
彼らが美術品を集めるのは、純粋な愉しみであって、そしてそのひとつひとつに、夫婦の歴史が宿っている。だから、彼らは作品を売らない。無名時代に彼らから目を掛けられた作家たちが、有名になった後もエージェントを通さず、安価で作品を提供するのは、夫妻の鑑識眼に敬意を表すると同時に、それらが切り売りされないことを確信しているからだ。夫妻のコレクションそのものがモダンアートの歴史だ。
郵便局と図書館で公務員として働いてきたハーブとドロシーが、コレクションの寄贈先に国立美術館を選ぶのも、古き良きアメリカ人の健全な美徳を思わせるが、何より傑作なのは、彼らの美術コレクションがマンハッタンのアパートの許容量を遥かに超える膨大さに、学芸員さえも苦笑させることだ。そして、そんな夫妻のさりげない日常を丹念に掬い取った監督が、日本人女性の佐々木芽生というのも、私には嬉しい驚きだった。
(増田統)