『夜明けのすべて』映画レビュー 映画の底力を示す新たな目線の獲得

映画には、人を変える力がある。それを胸に刻印してくれたのが、映画『夜明けのすべて』だ。

夜明けのすべては、恋人映画ではない。家族映画でもない。職場の人間関係が描かれたパートがほとんどだ。とはいえ、恋人映画や家族映画の部分もほんのり含まれている。人が日常にかかわる世界を優しく包むように描き切る、三宅唱監督の手腕が光る。

通勤服姿の、藤沢さん(上白石萌音)が、雨降る駅前のバス停のベンチに寝そべっている。カバンは道端に濡れそぼって投げ出されている。彼女に何が起きているのか。

彼女は、月に一度のPMSに悩まされていた。普段は温和な彼女を一挙に変えてしまうPMS。それは最初の仕事を辞めざる得ないほど重かった。生きづらさを抱えながらも、彼女が転職した先は、下町の栗田科学。そこには、隣席に座る、山添くん(松村北斗)がいる。山添くんは、転職してきたばかりなのに、やる気もなさそうな上、人に対しても実にそっけない態度が目に付く。

実は、山添くんも、パニック障害にかかり、今までの生活を一変させなくてはならなくなっていた。藤沢さんと山添くんのやり取りをメインに、季節が変わるように自然に温かい目線で、確実に何かが変わっていく日常が描かれている。

PMSもパニック障害も、自分がかかってみないとよくわからない症状のものだ。傍目には、気分の起伏が激しいとか、やる気がないとか、簡単に判断してしまいがちだ。

だが、PMSも、パニック障害も、映画『夜明けのすべて』の映画の核心のきっかけに過ぎない。中心軸は別にある。それは、世界を見るための「新たな目」が開かれることだ。

『夜明けのすべて』では、普通に見える日常の奥に万華鏡のような世界が広がっているのが見えてくる。精神的なものもあり、人や世界への関わり合いのものもあり、宇宙的、時間的な境界を超えてくるものもある。

それは、三宅唱監督の目線が、映画を見ることによって、トレースされてくるからなのだろうか。

『夜明けのすべて』を見て、映画館を出るときに、ほとんどの観客は、世界を見る目が少し違っているのに気づくと思う。新たな目が開かれることの、刺激的な体験は大きい。

私の場合、私を嫌っていると思っていた人がいた。『夜明けのすべて』を見た後に、その人が、パニック障害を持っていたと誰がか言っていたことを思い出した。彼を見る目が変わった。思い込みは世界を狭める。そして、新たな目が開けるということは、安らかさをもたらしてくれる。

(オライカート昌子)

夜明けのすべて
2月9日(金)ロードショー
©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会
配給:バンダイナムコフィルムワークス=アスミック・エース
出演:
松村北斗 上白石萌音
渋川清彦 芋生悠 藤間爽子 久保田磨希 足立智充
りょう 光石研
原作:瀬尾まいこ『夜明けのすべて』(水鈴社/文春文庫 刊)
監督:三宅唱
脚本:和田清人 三宅唱
音楽:Hi’Spec