とある映画館の壁に飾られた本作のポスターの前で、おしゃれな若いカップルが「この人、カワイイ~」とじゃれていた。“カワイイ”にさまざまなニュアンスがあることは知っているが、それにしても、差別ネタ満載で観客を挑発する映画の主人公をカワイイとはよくぞ言ったもの。きっと脚本・製作・主演のサシャ・バロン・コーエンは鼻先で笑うだろう。
ワディヤ共和国の独裁者、アラジーン将軍(サシャ・バロン・コーエン)は核ミサイル開発を疑われ、国連サミットに出席すべくニューヨークへやって来た。だが突然拉致され、拷問と称してトレードマークのひげを剃られる。
ニューヨークの街に逃げ出したものの、はたから見ればただの難民。彼に同情した博愛主義者の活動家ゾーイ(アンナ・ファリス)は彼をかばい、警察官相手に持論をまくし立て、彼は無鉄砲な彼女に惚れこんでしまう。
ゾーイの自然食品スーパーで働き始めたアラジーンは大胆不敵な従業員となって店を切り盛りし、なんとサミットの食事を依頼されることになる。そんなうまい話があるものか。サシャ・バロン・コーエンの脳内にうずまく、ありとあらゆるお下劣で危険なネタを、スポーツ感覚でぶちまけていくような展開は、眉をひそめるいとまもなく観客を乗せてゆく。これもある種のジェットローラーコースター・ムービーといえるかもしれない。
アラジーンを葬り去ろうとする側近にはサー・ベン・キングズレーが扮してこずるい悪漢を好演する。まるで凶暴な赤ん坊のようなアラジーンをしっかり受け止めてコントロールするゾーイ役のアンナ・ファリスもすばらしい。性愛に無知なアラジーンに自慰のテクニックを指導するシーンなど、よくぞ吹き出さずに演じきったもの。ボーイッシュではつらつとしており、ジェットローラーコースターから振り落とされるような気配はみじんもない。
終盤、アラジーンは演説で「ワディヤは民主主義国家に生まれ変わる」と宣言し、アメリカ合衆国の現状を皮肉たっぷりに並べたてる。それまでのハチャメチャの差別ネタに比べてぐっと平凡に感じられるのは、わたしが連発される差別ネタに麻痺し、差別主義者に変貌した証拠である。この映画の突き抜けたおかしさと恐ろしさを、ぜひまるごと体験していただきたい。
(内海陽子)
ディクテーター 身元不明でニューヨーク
オフィシャルサイト http://www.dictator-movie.jp/