『猿の惑星:新世紀(ライジング)』映画レビュー

破滅と絶望に満ちたディストピア映画は、今までにも、これでもかというほど作られている。成功作も多いし、見ごたえのある作品も少なくないのはご存知のとおりだ。それを見たい私たちの、悲惨な世界を疑似体験したい気分には、いくつか理由があるのだろう。

お化け屋敷に誘い込まれるような怖いもの見たさ。私たちを取り囲んでいる今の状態が消え失せてしまうのが、かえってすっきりさせてくれそうなこと。崩壊した世界でこそ、人間の本質が露になるのではという期待。私たちにはひそかな破滅願望があるのかもしれない。

新シリーズの『猿の惑星 創世記(ジェネシス)』は、評価と人気を両立した成功作だったが、人間の世界が崩壊していくきっかけが描かれており、ディストピア映画としては、レベル1ぐらいだった。


© 2014 Twentieth Century Fox
© 2014 Twentieth Century Fox

その続編となるシリーズ2作目の『猿の惑星・新世紀(ライジング)』では、前作より10年の時間が経っていて、人類にとっては絶望状況レベル5ほどにまでになっている。猿インフルエンザが、世界中で猛威をふるい、ほとんどの人が犠牲になってしまったからだ。生き残った人々は、500人中たった一人。


一方、シーザー率いる進化した猿の世界は森の中で拡張し、平和である。彼らにとってはユートピアな世界が日に日に近づいている。だが、そこに人間がやってくる。都市の一部に隠れ住むようにして暮らしていた人間たちは、電力が底をつく前に水力発電所を稼動させようと、猿の領域にやってきたのだ。猿の一団に出会った人間は、決して歯向かうつもりはなかったものの、銃を携えていた。全面戦争になるのか、避けられるのか、状況は緊迫する。


共感と思いやりはどこまで可能なのか。進化すればするほど、悪も心に忍び込んでくるのか。外面より内面を大切にできるのか。一面的なディストピア映画には見られないテーマ性は、さすが新生『猿の惑星』シリーズだと、唸らされた。ほとんど猿の視点から描かれているところも独特だし、アクション映画としても楽しめる。


ただ、人間が隠れ住んでいるエリアの様子や、猿が襲ってくるシーンの作り方には既視感がある。私が思い描いたのは、『ウォーム・ボディーズ』の空気感だ。襲ってくるのがゾンビであろうと、猿であろうと、ディストピア映画には、共通した世界観のベースがあるのだろうか。

(オライカート昌子)

猿の惑星:新世紀(ライジング)
2014年9月19日 TOHOシネマズ 日劇他全国ロードショー
公式サイト http://www.foxmovies-jp.com/saruwaku-r/

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