『テルアビブ・オン・ファイア』映画レビュー

『テルアビブ・オン・ファイア』は、第31回東京国際映画祭のコンペティション部門にノミネートされ、観客・映画関係者に好評を持って迎えられた作品だ。その後公開もされた。

イスラエル随一の都市テルアビブが火に包まれている荒っぽいイメージの題名なのに、内容は良質なコメディ。イスラエル/パレスチナの深刻な問題を、ユーモアとエンターテイメント精神をたっぷり込めて描いている。そこが一番の魅力だ。映画はこうでなくちゃ、というお手本を見せられた気になった。

テルアビブ・オン・ファイアとは、”TAOF”とも呼ばれるパレスチナ/イスラエルで大人気のテレビドラマ(ソープオペラ)のこと。1967年の第三次中東戦争前夜を舞台にし、美しい女性スパイが暗躍する内容であり、パレスチナ側、イスラエル側の軍人との虚実に満ちた三角関係に悩むストーリー。

”TAOF”の放映時間になると、パレスチナ/イスラエルの主婦たちがこぞってお茶の間に集まる。男性やインテリは、家の女性が夢中になっているのをしかめ面で眺める。国境も占領問題の現実も一瞬忘れ、ロマンスとスリルの世界に没頭させられる。ちなみに連続ドラマは、アラビア語で”ムサルサル”と呼ばれている。

東エルサレム在住のパレスチナ人青年サラムは、TAOFのプロデューサーをつとめる叔父のコネでドラマのインターンに採用される。ドラマの撮影現場は、パレスチナの都市ラマラ。つまり行きも帰りもイスラエルの検問を通らなくてはならない。それがサラムの大きな問題となって立ちはだかる。


イスラエル軍の検問所の主任アッシは、サラムが”TAOF”の脚本の手伝いをしていることを知って、脚本の先行きに興味を抱く。サラムは出世し、脚本を任されることになったものの、アイデアが浮かばない。ついに、アッシにアイデアの助けを求めることに。アッシは、女性スパイがイスラエル人将校を選び、結婚するのをドラマの結末として強要する。

『テルアビブ・オン・ファイア』の監督は、イスラエル在住パレスチナ人のサメフ・ゾアビ。この作品で、度肝を抜くチャレンジを試みている。パレスチナ、イスラエルという長年の深刻極まる関係を、次元を飛び越えるように俯瞰して、問題をないがしろにすることなく、むしろ理解を深めつつ楽しませる。こんがらがった糸の塊を一瞬にしてほぐしてくれたようなマジカルな手法だ。

イスラエル/パレスチナ問題は、状況を知っていれば知っているほど、一方に肩入れしがちだ。わたしのようにパレスチナに滞在していた場合も当然そうだ。片側を悪だと断定して、とりあえず安心してしまう。だが、そういう態度では問題の解決の助けになることはないのはご存知の通り。

現実的には、問題の解決にはまだまだ時間が掛かるようにしか見えないし、日々当事者たちは生活の、こと細かいところまで占領されている(占領している)不都合に苛まれている。


町から町へと移動するたびに、気まぐれなイスラエル軍の検問を潜り抜けなくてはならないパレスチナ人はもとより、両者を隔てる検問と壁は、イスラエル人がパレスチナへ行くことも難しくしている。

占領者が占領される側より楽ということはないのだ。検問という仕事を任されたイスラエル人の若い徴兵を見るたびに、少しかわいそうに思ってしまう。横柄な態度を見せ付けられれば見せ付けられるほど。

その面倒くささや、無意味さや、なぜという単純な疑問がもたらす微妙な感情を、『テルアビブ・オン・ファイア』は、”ホムス”というアラビアの民族フードに託して描いている。

ホムスは、煮たヒヨコマメを温めてつぶし、白練りゴマ(タヒーニ)、少量のつぶしたにんにく、味付けにレモンと塩をまぜて、なめらかにしたディップ状の料理。上からオリーブオイルをたっぷりかけて、パンにつけたり、塗ったりして食べる。東日本の納豆のような身近でありふれた食べ物であり、アラブの朝食には欠かせない。愛さない人はいないというほど、美味しい食べ物なのに、サラムはこのホムスが嫌いだ。一方、イスラエル人のアッシの方は、このホムスにとりつかれている。

ホムスが表現しているのは、空気のようにありふれていて、あって当然のものだ。嫌うことも求めることも、本来は似合わない。当地に住んでいる人々は、平和な場所に住んでいる人が、あって当然と思うものでも、普通の態度では受け止められない。そういう心持ちでしか生きられない場所なのだと思う。

映画は深刻さ避け、あくまでエンターテイメントの王道を行こうとする。でもラストに近づくにつれ、見ている側も次第に緊張を強いられる。テレビドラマのテルアビブ・オン・ファイアの結末はどうなるのか。パレスチナ人女スパイと、イスラエル人将校が愛によって結ばれるなんてことがあり得るのか。敵同士である以上、究極のタブーである。(スポンサーも許すはずがない)それを番組でやってしまうのか。だが、サメフ・ゾアビ監督は、ここでも大逆転的な離れ業で、誰もが文句をつけようのない爽快なラストを繰り出してくる。

この映画で一番心に残るのは「愛とは聴くこと」というせりふだ。サラムは決して脚本家として才能に恵まれているほうではない。彼ができるのは、周囲で交わされる会話や、愛する人との何気ない言葉をひとつひとつ聴くこと。「愛とは聴くこと」を続ければ、やがては、永く平和と縁がなかった場所にも変化が訪れるのではないか。サメフ・ゾアフ監督は、そんな希望もこっそりと作品に潜ませている。

(オライカート昌子)

テルアビブ・オン・ファイア
ⒸSamsa Film – TS Productions – Lama Films – Artémis Productions Ⓒ Patricia Peribañez – Samsa Film – TS Productions – Lama Films – Artémis Productions
監督:サメフ・ゾアビ
キャスト: カイス・ナーシェフ、ルブナ・アザバル、ヤニブ・ビトン
97分/ 2018年/ ルクセンブルク/フランス/イスラエル/ベルギー
公式ページ https://2018.tiff-jp.net/ja/lineup/film/31CMP13