好きな町を何度かめぐると、映画で路面電車の走る様子を見ただけでその町がどこだかわかるようになる。路面電車の走る東京下町も函館も広島も高知も好きだが、長崎が特に好きだ。この映画の面々が修学旅行先の長崎で泊まる「稲佐山観光ホテル」も稲佐山展望台もよく覚えているので、まるで劇中に入り込んだように気持ちがたかぶってしまう。
むろん、それは物語が十分に熟していよいよクライマックスに向かうからであり、青春期特有とは言い切れない恋をめぐる物語が切実で愛しいからである。図体は大人になっていても、おそらくほとんどの人が青春期の思い込みと傲慢と絶望を身の内に感じて生きている。それはやっかいな親友のようなもので、『アオハライド』はそれを思い出させてくれる。
中学時代に惹かれあった双葉(本田翼)と恍(東出昌大)は遠く離れたが、高校2年の春に再会。双葉は舞い上がるが、親の離婚で姓が変わった恍はそっけない。しかし二人の絆は徐々に形をととのえ、心ある友に囲まれて未来へと向かう希望を見出す。そこへ思わぬ伏兵が登場。恍の長崎時代の級友、唯(高畑充希)が彼への特別な執着をあらわにする。
病死した母親(岡江久美子)への自責の念を振りはらえない恍に、みずからの不幸を振りかざすようにして接近する唯は、ほとんど悪魔のようだ。彼女と対峙して引き下がる双葉の心境は察してあまりあり、母親の死から立ち直れない恍がじれったくなってくる。男たるもの、目の前にある大事なものを早く抱きしめろと他人は思うが、男というものは見た目ほど強くはなく決断力もない。
ちょっとした言葉の行き違い、タイミングのずれ、思いと裏腹な態度。恋する者に特有の過剰な自意識のありように胸が苦しくなる。いっぽう、双葉と恍の恋をなんとか元の軌道に戻そうとする友人たちの言動に胸が高鳴る。そしてついに、悪魔のようだった唯が恋のキューピッドとなって、恍の真意を双葉に伝えることになる。『陽だまりの彼女』の三木孝浩監督は、非常にデリケートな手つきでそれぞれの動揺と逡巡を描き、全体に見事な調和をもたらす。
現実では、青春も人生もこんな具合に盛り上がりのある展開にはならず、なんともだらしない収拾のつかない事態に陥って、納得のいかないまま諦めることになるのがおちである。だからこそわたしたちには物語が必要なのであり、物語を必死に生きる若い俳優たちを見て救われるのである。
もし稲佐山展望台での二人の恋の成就を気恥かしく思う人がいるとすれば、それはあなたが恋に照れていて、恋で恥をかいたことがなく、恋に絶望したことがないからだと思う。恋をしていくつものつまずきを体験した人にこそ、映画はやさしく微笑むのである。 (内海陽子)
アオハライド
2014年12月13日全国東宝系にてロードショー
公式サイト http://www.aoha-movie.com/