『イン・ザ・ハイツ』舞台裏レビュー

「美しくて、完璧」、アリアナ・グランデもこう絶賛した。

第93回アカデミー賞有力候補と噂されながら、

コロナの影響で公開が延びていたミュージカル『イン・ザ・ハイツ』が、

ついに公開される。

他国に比べ、感染者が圧倒的に少ない(という)我がニッポンは、

安心安全な(失笑)感染予防対策でオリンピック開催となったが、

依然として外出時にはマスクの着用が義務とされる。

だから、マスクをつけず、欲望のまま歌い躍り続ける

この映画にはちょっぴりジェラシーを感じるだろう。

(それにしても、今とは違うクレバーなリーダーの政策のもと、

普段通りの生活を取り戻せるのはいつになるのかね)

ニューヨーク、マンハッタンの最北にある居住区、ワシントン・ハイツが舞台。

ラテン系移民が多い町ワシントン・ハイツ(以下、ハイツ)で、仕事や進学、

恋につまずきながら、自らの夢に踏み出そうとする4人の若者を

カメラが縦横無尽に捉えていく。


冒頭、軸となる移民ウスナビの名前の由来で見る者をグイと引き寄せる。

由来はこうだ。

ドミニカからアメリカにやってきた移民家族。

長老が港で目にした巨大軍艦の名前を息子につけて、一族繁栄を託す。

で、「U.S.NAVY」(アメリカ海軍)から「ウスナビ」と命名。。。

これで物語の掴みはバッチリだ。

そこに畳み掛けるように炸裂するパワフルなナンバーと、

ワンシーン500人以上のダンサーが乱舞するビッグ・パフォーマンスは、

(マスク着用の義務を負う)私たちがアホらしさを感じるほど圧巻だ。

やがて映画『イン・ザ・ハイツ』は、

故郷ドミニカに夢を馳せる移民特有の葛藤を掘り起こしていく。

監督のジョン・M・チュウは、同じ移民として、

「移民の子の気持ちはよくわかる」という。

「アメリカ人としてここで育ち、ここを地元と呼んでいるけれど、

ここから自分はどうするべきか常に決断を迫られるんです」

監督はこう続ける。

「コロナ禍、昨年は誰にとっても大変な一年でしたし、今も苦労が絶えません」

「やっぱり頼りになるのは隣人ということも改めてわかりました。

それがこの作品のエッセンスなんです」


関係者のコメントも深い。

「作品の完成が数年前だったり、公開日が去年なら、

まったく意味合いの違う映画になっていたでしょう。

公開するなら、いまが絶好のタイミングだったのです」

私がとくに心躍らせ、感慨に震えたシーンはこの2つ。

75人ものラティーノ(ラテンアメリカのスペイン語圏出身者)が

メイン・ストリートの真ん中で踊りながら、

自分のルーツを高らかに歌い上げるオープニング。

そして、移民たちの母親的存在アブエラが、薄暗い地下鉄構内や

走る車内で、悲しい移民の思い出や女中として苦労した日々を歌う場面。

今昔それぞれの移民意識が爆発する名シーンだ。

キャストの多くが演劇出身だというので、その力量も相当なものだ。


(何度も申し訳ないが、この2つのパートだけでも、

165億円かけたオリンピックの開会式を上回る興奮度)

(開会式のパフォーマンスは納得はしたが、

ナントカさんの退屈極まりない13分ものスピーチですべてが台無しだった)

何と言っても『イン・ザ・ハイツ』の醍醐味は、その臨場感にある!

撮影中の合言葉は「臨場感」だったと言うから納得した。

撮影担当のアリス・ブルックスがこう振り返っている。

「当初はアパートの室内やタクシー会社のオフィスのシーンは、

撮影所にセットを組んで撮影する予定でしたが、ハイツを見て回るうちに

この町でロケを行い、この町に全面的に協力してもらうことが作品にとって

いかに重要か実感しました」


コミュニティの息遣い、そして全編に流れる躍動感。

「スタジオ撮影ではこうはいかなかった」と胸を張る。

美術チームの責任者ネルソン・コーツも臨場感の名の下に、

ニューヨーク公立図書館の郷土資料を読み漁ったと言う。

「昔の町並みを再現するために、メイン・ストリートを変えていったんです」

「パソコン販売店は薬局に、酒屋は金物屋に変えました。

複数ある美容院のうち1店をパン屋に、もう1店を中古家具屋に」


衣装担当のミッチェル・トラバースの話はとくに興味深い。

「実際にハイツを歩いてみて、時間帯で町の風景が変わることに気づきました。

早朝は、髪を無造作にまとめた女の子がパジャマのズボンを太ももまで

たくし上げ、丈の短いタンクトップ姿で歩いている。

男の子たちは短パン、ソックス、サンダルという格好が多い。

夜になると一変するんです。とくに週末の夜はまるで別世界。

コロンの香りが漂い、タイトなミニドレスでめかしこむ女性であふれる。

そこで自分が見たままを衣装デザインに反映したんです」

「ハイツに住む人の自宅に招いてもらった」と監督。

「映画の夕食のシーンに不自然なところがあったか、

食卓にどんな市販のソースを並べるべきか、自家製のソースもあるはずだ」

しまいには「ハイツの住人なら、料理はテーブルの真ん中に置かない。

サイドテーブルに置いて、そこから取り分けるんだ」と教えてもらったと言う。


ふたたび、衣装のトラバースも誇らしげに

「地元の男性が不意にやってきて、『靴がたくさん必要でしょう?』と

声をかけてくれることもありました。

『ダンサーと役者の分を合わせて500足以上を調達しなくてはいけない』

と告げると、男性は1時間後、両手いっぱいに靴を抱えて戻ってきたんです。

私は思わず『これ、全部必要です!』と叫んでしまいました」

音楽総指揮を務めるアレックス・ラカモアも

ハイツの臨場感を現地で得ているひとりだ。

「ハイツを歩いていると、あちこちからジャンルの違う音楽が聞こえてくる。

ヒップホップあり、サルサあり、メレンゲあり、バチャータあり、R&Bあり。

あらゆるジャンルの音楽が流れ、しかも大変に現代的なんです」

「道端に置かれたラジカセ、アパートの窓、カーラジオからひっきりなしに

音楽が流れてくるし、車やバイクのエンジン音も耳に入ってくる。

まさに音楽はハイツの活力源なのです」

とは、プロデューサーのアンソニー・ブレグマンの弁。

臨場感を合言葉にいざ撮影に入ると、現場で不思議なことが起きた。

「地元ハイツの住民と役者の見分けがつかなくなったのです。

ハイツの住人だと思って立ち話していたら、突然その人がカメラの前で

演技を始めたんです。まるでキツネにつままれた気分でしたよ(笑)。

道端でドミノをしているグループは役者なのか地元の人なのか、

区別がつかないこともしばしばありました」

と語るのは、原作、作詞作曲、音楽、製作のリン=マニュエル・ミランダ。

『イン・ザ・ハイツ』の立役者である。

ミランダがミュージカル劇「イン・ザ・ハイツ」の第1稿を書き上げ、

キャンパスで上演したのは大学2年生のとき。

80分間の1幕もので3日間だけの上演だったが、見事な出来栄えだったという。

のちに、この作品はオフ・ブロードウェイからブロードウェイに進出して

大成功を収め、今回の映画化『イン・ザ・ハイツ』に至った。

トニー賞4冠、グラミー賞受賞、ピューリッツア賞の戯曲部門で

最終選考にまで残った世紀の名作『イン・ザ・ハイツ』。

残すは、第94回アカデミー賞受賞のみだろう。

映画はやがてハイツ大停電までのカウントダウンが始まる。

気温41度。

ラテンの血は沈黙することを知らない。

「移民がいなければアメリカはない。アメリカは移民が作った」、

映画『アメリカン・ユートピア』説を再確認させられる映画でもある。

(武茂孝志)

『イン・ザ・ハイツ』

7月30日(金)全国ロードショー

監督:ジョン・M・チュウ

製作:リン=マニュエル・ミランダ

出演:アンソニー・ラモス、コーリー・ホーキンズ、レスリー・グレース、

メリッサ・バレラ、オルガ・メレディス、ジミー・スミッツ

全米公開:2021年6月11日

原題:In the Heights

上映時間:143分

製作国:アメリカ

配給:ワーナー・ブラザース映画

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