映画『あさがくるまえに』レビュー

見終わって鳥肌がたった。
それがじんわりと身体の中にしみこんで、
日が経つほどにほんわかした真ん丸となってハートの辺りに浮かんでいる。

有楽町で開催された「フランス映画祭」でも熱狂で迎えられたと聞いた。
我が身のように嬉しかった。

米国紙「バラエティ」の2017年上半期ベストフィルムでフランス映画ながらも選出された。
これまたガッツポーズをした。

そもそも、昨年のヴェネツィア国際映画祭で20分間にも亘ってスタンディング・オベーションを浴びた映画である。

物語の始まりはフランスの港町、ル・アーヴル。
夜明け前に仲間とサーフィンに行って脳死となった19歳の青年シモン。
映画は、無傷のシモンの心臓をめぐって、生と死の境界線上にたたずむ人々をやさしく(歓喜)、ときに現実的(絶望)に映し出す。

奇跡を願うシモンの両親。
シモンと両親に寄り添うナース。
心臓移植を説く医師たち。
そして、新たな心臓を待つ女性。。。

物語は、「津波」、「別居」、「キスマーク」、「ショート・メール」、「ケーブルカー」、そして、「ホモセクシュアル」、「レズビアン」、「ハイタッチ」、「E.T.」、「再生」といった鮮やかなエピソードが繋がって、やがてシモンの心臓は港町ル・アーヴルからパリへと鼓動を伝えていく。。。

根底にあるのは「心臓移植」だけど、堅苦しい啓蒙はこれっぽっちもない。
それどころか、ほどよいエンタテインメントとして描かれているのに好感が持てる。

前述の「ケーブルカー」では、クロード・ルルーシュ監督の名作『男と女』(1966年)を甦らせたり、「ホモセクシュアル」や「レズビアン」の件ではちょっぴりサスペンスフルな展開を見せる。
大きなお世話だが、私はナースが打つ「ショート・メール」に男泣きした。(笑)

原作は、幼少期をそのル・アーヴルで過ごし、その後パリで哲学を学んだメイリス・ド・ケランガルという女流作家。原作は映画化タイトルと同じで、直訳すると「生き物をつくろう」だという。

監督のカテル・キレヴェレも、「象牙海岸」とよばれるコートジボワールで生まれ、パリで哲学を学んでいる。
新世代台頭著しい映画界にあって各国の映画祭で大注目されている1980年生まれの女性監督だ。

面白いことに、映画を語るとき忘れてはいけないことがある。

終盤に流れるデビッド・ボウイの曲に監督の思いが詰まっていることだ。

曲名は、『FIVE YEARS』=5年間。
傑作アルバム「ジギー・スターダスト」(1972年)の一曲目である。

デビッド・ボウイは昨年亡くなるまで一貫して、「絶対性への疑問と反発」、「モダニズムへの警鐘」、ことさら「死の恐怖と生へのプレッシャー」というテーマに取り組み、歓喜と絶望を繰り返し体現してきた。

ときに、人をも寄せ付けない奇抜な衣装とメイク、そして無二の生き様で、性別さえも消し去ったボウイ。

この『FIVE YEARS』でリフレインされる「世界には5年しか残されていない」という、ボウイの予言をどう受け止めようか。。。
45年経った今、あれこれ考えてみるのもいいだろう。

これこそ、カテル監督が映画『あさがくるまえに』を撮った理由に違いない。

必ずや、観客は冒頭から心臓をわしづかみされる。
終映後、劇場を出るとき、周りの観客の表情を眺めて欲しい。
そんな映画である。

(武茂孝志)

あさがくるまえに
(C)Les Films Pelleas, Les Films du Belier, Films Distribution / ReallyLikeFilms
監督: カテル・キレヴェレ
原作: メイリス・ドゥ・ケランガル
脚本: カテル・キレヴェレ
    ジル・トーラン
出演: タハール・ラヒム
エマニュエル・セニエ
アンヌ・ドルヴァル
ドミニク・ブラン
ブーリ・ランネール
クール・シェン
モニア・ショクリ
アリス・タグリオーニ
カリム・ルクルー
アリス・ドゥ・ランクザン
フィネガン・オールドフィールド
配給:リアリーライクフィルムズ=コピアポア・フィルム
2016年/フランス・ベルギー映画/104分/ドラマ

2017年9月16日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
公式サイト https://www.reallylikefilms.com/asakuru