(c)2012 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved.
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母の二度の慟哭が、いつまでも私の耳に響いて離れない。

最初のそれは、ガンドに強姦されそうになって懸命に身を床にのた打ち回らせながらの絶叫であり、二度目は工場跡の闇に横たわらせた冷蔵庫の扉を開け、その中に縋りつくように号泣する。それらの嘆きはまさに魂の叫びそのものの凄絶さで、観る者をただ圧する。

ガンドは母を知らない。産み落とされて30年、彼はソウル郊外の清渓川の寂れた工場群で冷酷な借金取りとして生きている。債務者を傷つけ、身障者にして保険金をせしめることに何の罪悪感も躊躇もなかった彼の孤独が、しかし母と名乗る女性の突然の登場によって揺らぐ。彼女が無表情に突き出した鰻の頭に巻き付けられた名前と携帯電話を記した紙片が、その鰻が蠢く水槽の中でちらつき、ガンドの意識をとらえて離さない。

まさか彼女が自分を棄てた母であるはずない。そう無関心を装いつつも、一縷の希望にしがみついてしまうのは、一匹狼のガンドも母性に“飢えて”いたということだろう。文字通り、それは食欲とともに満たされる。“母”が雑駁に切り裁いた鰻の網焼きを口にし、そうしてガンドは彼女をおずおずと「母さん」と呼び始めるのだ。

言葉少なく、しかし強烈な意志を秘めた眼差しでひたとガンドを見据える“母”の真意は、ガンドにも杳として掴めない。しかし、殺風景で手狭な部屋で寝食をともにする“母”との密接な関係性だけが、やがてガンドの“真実”となり、ほかのことはもはやどうでもよくなってゆく。

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ブティックで買った洋服の堤袋をぶっきらぼうに“母”に差し出したガンドは、彼女が黙々と手編みするセーターを着たいと甘えるようになる。あるいは、街角で風船にはしゃぐガンドを鼻で笑う見知らぬ男に、母は侮辱されたといきなり強烈な平手打ちを喰らわせる。夜更けに母のベッドに潜り込み、けんもほろろに追い返される、そんな母と子の他愛もない瞬間でさえも、ガンドにとっては初体験の歓びなのだ。そう、ガンドにとっては。
女性の偉大さは、自分が腹を痛めて産んだ赤ん坊が、間違いなく我が子だと断言できることだ。しかし、男はそうはいかない。女性の言葉を信じ、受容するだけで、特定の調査でも試みない限り、それを生物学的に実証する術は持ち得ない。

当初、「金は復讐」と言い切った“母”の胸中にも、やがてガンドが“もうひとりの息子”という稀有な存在になる。その危うさが、キム・ギドクの凄味だ。道を迷い、車に轢かれるウサギは、ほとばしる先を失った彼女の葛藤の行先の暗示でもある。存在しない誰かを掻き口説くように、「あいつも可哀想なのよ」と呟くとき、彼女の黒目がちの瞳に怖れ慄きの色が走る。それは、ガンドが身体を傷つけ、時に自殺にまで追い込んだ男の老いた母たちの嘆きの眼差しそのものだ。

私は、清渓川沿いに屋根を連ねる平屋の工場群に、共産主義崩壊後の東欧のモノトーンの街並みを連想してしまった。89年末にベルリンの壁が崩壊し、雪崩式に共産主義国家が次々と体制を一変させた90年から3年間、路上画家としてフランスを放浪した実体験を持つキム・キドクにとって、その無惨な社会崩壊が脳裏に焼き付いていたとしても不思議はない。とりわけ物語のクライマックスとなる建築途中で打ち棄てられたビルは、社会主義体制の残骸さながら、ここがもはや政府や住民から見棄てられた町であることを強調する。

(c)2012 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved.
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そしてギドクは、かつて『コースト・ガード』で海軍の非人間的な軍規と海岸警備のプレッシャーに心身喪失したチャン・ドンゴンに、ソウルの街中で銃を乱射させ、不寛容な社会に狂気じみた叛旗を示した。そう思い返すと、ガンドは未来のない町で生にあえぐ人々に黄泉への旅立ちを迫る死神のようだ。「金を借りたくせに返さない」。たしかにそうだが、もはやこの町では働けども満足な収入は得られない。

やがて生まれ来る我が子のために、自ら保険金目当てに“障害者”になることを切望する若き父。彼はガンドを畏れるどころか、彼の“情状酌量”を反故にして、自ら身体を工作機械に巻き込ませる。その彼の叫び声が、ガンドの背中で虚ろに響くとき、もはや何が正義なのか、混沌は深まるばかりだ。“豊かになる”ために人は狂気に走る。しかし、その豊かさは貪欲な社会が生み出したまやかしであり幻想にすぎない。

生涯、切り結ぶことのなかった母子の絆を、ガンドは自分の掘った墓穴で、“母”とセーターを着た男との聖三位一体に託し、金銭づくでは満たされなかった魂の安息を得た。ソウルの街へと延々と滴り続けるガンドの“血痕”は、「人を金で試す悪魔」へと育んだ社会へのガンドの贖罪であり、ギドクの容赦ない憤怒の刻印となるのだ。(増田統)

嘆きのピエタ
Bunkamuraル・シネマにて絶賛公開中!ほか全国順次公開
新宿武蔵野館(レイトショー)、109シネマズ川崎にて6月22日より公開
公式サイト http://nagekinopieta.com/