市役所が身元引受人となり、六人の元受刑者が日本海側の小都市に極秘で移住してくる。近未来的な発想で衝撃を与えた山上たつひこ、いがらしみきお原作作画のコミック『羊の木』の映画化作品が公開となります。手がけるのは『桐島、部活やめるってよ』(2012)、『紙の月』(2014)で一躍日本映画界のトップクラスの地位に上り詰めた吉田大八監督。主演の市役所職員を演じるのは錦戸亮。六人の元受刑者にも、個性豊かな俳優たちを揃え豪華でミステリアスな作品となりました。本作について、内海陽子、オライカート昌子の二人が対談を行いました。
優れた映画はどんな環境で見ても引き付けられる
オライカート:『羊の木』ですが、この映画について語りあいたかったという一番の理由は何ですか?
内海:『ダンケルク』(2017)のレビューで、映画における快楽について書きましたが、作り手が快楽を覚えることと、お客さんに快楽を与えることを両立させている映画が私は好きだなと、しみじみ思ったんです。物語そのものの快楽とは別にね。この『羊の木』に関しても同じことを感じました。始まった瞬間にこれはいけるなってまず思ったのね。それはわかるのよね、生理的な感覚で。
物語をかいつまんで言うと、日本海側の小都市が、仮釈放された元受刑者(殺人犯)の身元引受人になるという近未来的な発想のストーリーです。市民はそのことを知らずに、単なる移住者として受け入れるのですが、じわじわと波風が立ち始めます。だんだんと彼らの正体がわかってきますが、彼らのお世話をする市役所職員(錦戸亮)がどのように立ち向かっていくかというお話です。全体としてはえげつない設定だし、いったい誰に感情移入できるかと、普通は思うところだけれど、私はほぼすべての人に感情移入できたんですよ。
以前から言っていることですが、群像劇は難しいんです。その群像劇を、見事なバランスと緩急自在な技で見せ切る吉田大八監督に深い信頼を覚えました。私はすべてを細胞レベルで味わえる気がして、そういう観客である自分を発見してすごく嬉しかったです。まずそれが第一の理由ですね。
オライカート:評判もよかったと思うのですが、試写室がすごく混んでいて、来た人の半分は別室でのDVD鑑賞に案内されていました。私はぎりぎり試写室には入れたのですが、一番前の端で、ぼぼスクリーンと平行のような座席で決して見やすい席ではなかったんですが、それなのに、引き込まれました。いい映画は、環境なんて関係ないんだなと思いました。疲れていようと、眠かろうと、見づらい席であろうと関係ないんです。
内海:すぐれた映画って、結局そういうことなんだよね。
オライカート:でも、そういう映画ははっきりいって少ない。
内海:いや、めったにない。
オライカート:最後震えが走りましたから。そのぐらい震えが走ったのって、『ザ・タウン』以来。
えげつなく描くこともできる題材を洗練された手法で描いている
内海:原作と対峙した吉田監督が、その才能で噛み砕いたものを、わたしたちに与えてくれたものを、しっかり受け止めたいと思いました。特にラストシーンは、比較的救いのある明るいものになっているでしょ。そこに彼の現在の方向性があるようですね。考えれば、このような落ち着いた広がりのあるエンディングは初めてのようなんです。監督として、ご自身も実感なさっておられるようですが、とても成長されたというか、腰が据わったというか、いい仕事を重ねてきて、いろいろな体験をなさって、このグレードの高い最新作に至る。まだそれを言うのは早い段階かと思いますが、作品賞、監督賞、主演男優賞は、私の中で決まりです。
オライカート:そういう意味では公開が早すぎたというのはあるかもしれませんね。ところで、なんだか不思議なんですが、この映画って見た直後のインパクトに比べると、見た一ヵ月後の感想は、少し弱いような気もします。
内海;記憶を新たにすればいいのだから、それはあまり関係ないと思います。それから、嫌なものを描く、記憶に残すための手段というのもあると思うのですが、この映画は、そういう手段に頼るのではなく、ちゃんと現在進行形で、この町に六人と一緒に住んだとしたらどうなるかということを、そのまま味あわせてくれる。ものすごくえげつなく描くこともできるのに、そうはしていない。だから、場合によっては一ヶ月すると薄れてくる。どこが良かったのかなと思うかもしれないけれど、それは映画の品がいいからよ。
ある種、品のわるいものは記憶に強く残る。ここであえて言いますと、『葛城事件』とかは、品のいい映画ではないですよね。だから記憶に強く残る。『凶悪』とかもね。記憶に残るように作ってある。でもこの『羊の木』は、いくらでもえげつなく描ける題材を、洗練された、さりげない手法を使って描いている。人と人がこすれあう様子が、非常に丁寧に繊細に描かれる。何度も何度も作り手が考えて、現場でも慎重に組み立てていったという気がするのね。そこにすごく感動する。
緩みそうで緩まない絶妙なシーン
オライカート:いくつかのシーンなんですが、普通の映画だとゆるんじゃう場合がある。
内海:具体的に言うと?
オライカート:ひとつは、優香さん演じる理江子が、自分の過去の体験を語る長台詞。彼女はものすごく上手い女優とはいえないと感じていたので、シーンがゆるむかなと思って、こっちも一息つく態勢でいました。日本映画で、時にいやに緩むときってあるじゃないですか。流しているような感じで。
ところが『羊の木』では、このあとぐいぐい引っ張ってきて、濃密な長せりふになっていて、すごく驚きました。優香さん演じる理江子は、ここまでは得体が知れない役なんですが、このシーンの前と後ではまったく印象が変わります。全員にそういう、印象がひっくり返るシーンがあると思うんです。そのシーンによって、役が違うのではと思うほどイメージが変わります。
それから主役の市役所職員の月末(錦戸亮)が、文(木村文乃)に、彼女が好きになった相手の宮腰(松田龍平)が殺人犯であることをバラしてしまうシーン。「あ、まずい。言うべきじゃないことを言ってしまった」という経験がありますが、そのときの、頭が真っ白になってしまって、瞬間が凍りつくような感覚が一度にやってくるような感じでした。ものすごい辛さです。映画を見ていて、そこまで体験が伝わってくるってなかなかないです。あんなシーンに関しては初ですね。
内海:よかったね。
オライカート:はい、よかったです。
内海:それはまあ、錦戸亮の手柄なんですけどね。
オライカート:そうですね。
内海:松田龍平演じる宮腰ですが、わたしは彼だけが一番感情移入しにくい部分があったんですよ。六人のね、感情移入しやすい人から救われていくというところがあります。そして感情移入しにくい人、つかみにくい人というのは、人間の底知れなさをまとっているんだなあということがわかってくる。六人が監督のなかではちゃんと色分けがなされている。ものすごく高度な計算がなされていると思うんだけれど、それほど感じさせない。しかも松田龍平はいい役者だし、私も好きな役者だし、好ましい役を演じることが多いから、このたびは素晴らしいキャスティングだと思います。彼も得をしましたね。あまり達者な役者ではないと思うのですが、それがうまく生かされていると思います。演じている彼自身があまりよくわかっていないんじゃないかと思うくらい、いいですよね。役者としてのどこか抜けている部分が、この役で生かされていると思います。そういうところを私は一番楽しみました。あなたがおっしゃった錦戸亮演じる主人公がしまったと思うときに、彼が許すじゃない。あれが怖いのよね、妙に。「君を信じていたのに」とか言うのが普通でしょ。それなのに、彼は「いいよ」って言うんですよね。
オライカート:友達としてなのかって言いますよね。
明快な絵柄のラストシーン
内海:そうそう。あの時点では友達を求めているんだなあって思いましたね。でもあとで、違う意味が効いてくる。怖いミステリーなのよね、これは。そして主人公に救ってもらいたいという、二重の意味があったかもしれないわね。ラストシーンにもつながるけれど、あそこで自分はけりをつけられると思ったのかもしれないと後で思いました。あのシーンが笑っちゃうような変なシーンになっていて、あそこも感心しました。まさかああいう風になるとは思わなくてね。ちょっと笑えるでしょ。怖いけど笑えるシーン。しかも絵柄が明快じゃないですか。あれは本当に腕のある人じゃないとできないですよ。ただのお笑いになっちゃう可能性もあるでしょ。でもすごく厳しいシーンだし、白黒がはっきりわかるシーンでしょ。あれは成功すると気持ちいいですよね。
オライカート:カタルシスがあります。
内海:最初に言った『ダンケルク』もそうだけど、映画を作る快楽と、映画をお客さんに見せる快楽がきっちり一致している映画を作る人は本当に少ないのよね。自分の欲望を探りつつ、お客さんが求めているであろうことを予測しつつ、それをピシッときめられる人は少ない。偶然の一致はたまにありますけれどね。それから情熱があるなら、その情熱がお客さんに伝わって、寛大に受け止めてもらえることもあるけれど。ぼっーと見ていても「おおっ」となるのは、やっぱり映画がすぐれているのよね。
オライカート:この映画はポジティブなんだと思います。軽い言い方ではなく、人間の明るい面に焦点を当てている。言い方を変えれば”救い”がある。
内海:そう、ポジティブというよりは、救いね。世の中は人々の善意、優しい気持ちで動いているけれども、邪悪なものの力も大きくて、そういうものに人間はすごく痛めつけられる。けれども「善意っていいよね」というのが最後に残る。
私は大野(田中泯)が働くクリーニング店の女店主の“知的な決断”が大好きなの。
オライカート;安藤玉恵さんが演じている役ですね。今まで脇役が多いイメージでしたけれど、これは本当にいい役。
内海:安藤玉恵だからできるのよ。大野を迎えにいくところで泣けました。一番好きなシーンです。現実にはなかなかないと思うのよ。
オライカート:案外現実のほうがもっとポジティブかもしれませんよ。
内海:あなたはそう思うかもしれませんが、冷たい現実ってありますよ。世の中って、わからないものや嫌だなと思ったものに対して、本当に冷たいものがありますよ。
オライカート:そういうものが交じりあって、51対49でポジティブが勝っているって考えたいです。いろいろあっても世の中成り立って、世界は滅亡しているわけじゃないですからね。
内海:混じっているというのは正しいと思うけれど。
オライカート:ダークタワーのようですが、闇の力よりもポジティブの力がほんの少し強いから、私たちは生き延びていると思うんです。
内海:悪者も生き延びたいのよ。みんなを滅ぼしたら、悪者も生き延びられなくなるのよ。
オライカート:それはそうですね。
内海:善なるものを生かしておかないと、悪者はうまい汁を吸えないでしょう。現実的なワルというのは、まずお金と権力を握るわけでしょ。世の中そういうものよ。きっと誰かが泥をかぶってバランスを取っているのよ。わかりやすいヒーローはいないけど、見えないダークヒーローが戦っているのよ、善は弱いものだと思うから。そう思うと、人間の精神のどこかに善を守ろうとする気持ちがあって、そういうものが理想的に現れたら、『羊の木』にでてくるこの町のようにバランスを取っていけるのかもしれない。
オライカート:その守っている力が、”のろろさま”という、超自然のわけのわからないものというのが、面白いですよね。
内海;”のろろさま”のことを考えると、それを作り上げた山上たつひこの原作も気になるよね。いまのところは、まだ原作から離れていたいのだけど。
オライカート:この映画は重層的に作られていると思うのですが、完成されているコミュニュティに、6人の元受刑者という異物が入り込んでくる。それって、人間の体にウイルスが入り込むような話じゃないですか。それを最終的に処理していく話だと思うんです。取り入れ、同化させていく。のろろさまに恭順の意を示さない、ルールを破る人間は処理する。そういうムラ社会を描いているようにも思えます。
内海:それは日本そのものでもある。いずれ移民社会になるかもしれない日本がどのようになっていくかということまで示唆されている、と言うのは平凡な感想にすぎませんが。それにしても主人公の月末に象徴される庶民の善良さは、まさに救いのように光りますね。この役を演じる錦戸亮は、受けの演技がほんとうに素晴らしいと思います。
羊の木
2018年2月3日(土) 全国ロードショー
© 2018『羊の木』製作委員会 ©山上たつひこ、いがらしみきお/講談社
配給:アスミック・エース
出演:錦戸亮
木村文乃 北村一輝 優香 市川実日子 水澤紳吾 田中泯/松田龍平
監督:吉田大八 脚本:香川まさひと
原作:「羊の木」山上たつひこ いがらしみきお(講談社イブニングKC刊)
製作:『羊の木』製作委員会 配給・制作:アスミック・エース 制作協力:ギークサイト
2018年日本/2時間6分/ビスタサイズ/5.1ch