『午後8時の訪問者』映画レビュー(オライカート昌子編)

© LES FILMS DU FLEUVE – ARCHIPEL 35 – SAVAGE FILM – FRANCE 2 CINÉMA – VOO et
Be tv – RTBF (Télévision belge)
『午後8時の訪問者』が、ハードボイルドな女医の映画だというと異論もあるだろう。女性のハードボイルド映画として真っ先に名前が挙がる、ジョン・カサヴェテス監督・脚本、ジーナ・ローランズ主演の『グロリア』(1980)とは違う。サスペンスはあるけれど、アクションはない。

主人公のジェニーは、まだ若くて美しく、白衣は着ない医者だ。ハードボイルドらしさが一番感じられるのは、彼女が医者の仕事に全力を尽くしている姿だ。ほぼ一人称の映画なのに、仕事以外の、娯楽や恋愛やファッションのことは全く描かれない。ちょっとした息抜きは、窓辺で吸う一本のタバコぐらいだ。無表情で不機嫌そうでもある。仕事一筋の人によくあるように。

遺体で見つかった少女の名前を知っている人はいないのか訪ね歩く。そんな時も淡々と行う。行った先々で少女の写真をスマホで見せ、見覚えのある人がいないか聞いて回る。少女が誰なのか知りたい、家で待っているはずの家族に連絡を取りたい一心で。その少女こそ、午後8時に診療所のベルを鳴らした当人だった。ジェニーは、診療時間が過ぎていたという理由で、若い研修医がベルに応えようとしたのを止めたのだった。

もしベルに応えていたら、少女は助かっていた。それはジェニーに深い後悔を与え、せっかく決まっていた大病院の仕事も断り、今まで代診していた小さな診療所の友人の後を引き継ぐことした。家から荷物を持って診療所に泊り込み、昼間は診療所での診察以外に訪問診察にも出かけ、夜中でも明け方でもベルが鳴れば、起きて応える。ジェニーにとっては大きな変化だ。

少女の正体はなかなかわからないし、危うく暴力を受けそうになることもある。それでもジェニーは少女のための探索と、町医者としての仕事に全力を尽くす。少しずつ変化も見せていく。人情話的なエピソードも増え、愛らしい笑顔も見せるようになる。「医者だから決して患者の秘密はもらしませんよ」と言う時の、責任感とちょっとした誇らしさ。ワッフルやクッキーやサンドイッチや紅茶がオファーされたら、決して断らないのも彼女の流儀だ。

いつしか、ハードボイルドの卵の硬いカラにひびが入り、中身が見えてくるようになる。彼女が育てていた優しさ、不機嫌な表情の奥の姿がゆっくり姿を現す。それはまるで、一人の人物の謎を紐解いていくみたいだ。なんてスリリングなんだろう。午後8時の訪問者が、誰だったかを探すミステリー・サスペンスであると同時に、ジェニーの本来の姿を見つける物語でもあったのだ。世界で一番ドラマチックなのは一人の人間の心の中なのだと、改めて思い出す。

(オライカート昌子)

午後8時の訪問者
4月8日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!
2016年 フランス・ベルギー映画/サスペンス/ミステリー/ドラマ/106分/監督: ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ/出演・キャスト:アデル・エネル(ジェニー)、オリヴィエ・ボノー(ジュリアン)、ジェレミー・レニエ、ルカ・ミネラ、リヴィエ・グルメ、ファブリツィオ・ロンジョーネほか
/配給:ビターズ・エンド
『午後8時の訪問者』公式サイト http://www.bitters.co.jp/pm8/