最高峰世界第二位のK2に登った元登山家の知り合いがいる。頂上にアタックする直前のキャンプでのゴーストストーリーめいた体験談を聞いたことがある。
ふつうなら人が近づけない場所のはずなのに、テントの外で、ずっとがやがやと人声や足音がしていたそうだ。K2登山はエベレストよりも危険といわれ、死亡率も高い。外を見てしまったら、日本に二度と帰れなくなるような気がして、決してテントから外を見ないようにしていたという。
『ゼロ・グラビティ』を見ながら思い出したのが、この話だ。かつて北極や標高8000メートル急の山は人を近づけない秘境だった。民間宇宙旅行時代が近づいていると言っても、宇宙も簡単に行ける場所ではない。万が一事故が起きても遺体の回収は不可能な場所だ。
『ゼロ・グラビティ』ではまさに事故が起きてしまう。そこからの生還を賭けたサバイバル・アクションなのだが、エンタメ作品としても完璧に作り上げられている上、数々のメタファーが印象深く、作品としての完成度や深みを感じさせられる作品である。
中心となるのは、二人の飛行士。宇宙を何度も訪れているベテラン,マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)と、今回が初宇宙のライアン・ストーン(サンドラ・ブロック)である。
ベテランの方は宇宙遊泳をしながら軽口をたたく余裕があり、もう一方は一つ一つの仕事を確実に仕上げるのが精一杯。多分彼女は、危険な場所だからこそ集中力が必要とされ、他のことに頭を悩ませる必要がないから、宇宙に出たのではないかと思う。
重力がない場所=心の重荷も感じる必要もない場所というメタファーのようにも感じた。彼女には、地上で生きてい上で、他のつらさや哀しみと比較にならない最も悲しい出来事を抱えている。その記憶をなかったことにするためなら、どんなことでもするだろう。宇宙にだって行ってしまうぐらいの。
その体験を彼女は無感情で語る。ただ、彼女の行動が、彼女の中の救いようのない漆黒の穴を感じさせるのみだ。宇宙に広がる闇のような。
地球への生還のための一つ一つの行動を通し、少しずつ彼女はつらい体験を思い返す。生きる意欲を育てようとする。それはつまり、重力=心の重荷を引き受けようとするということではないだろうか。思い出したくないほどのつらさ、穴には行ってしまったような絶望、それがどんなに恐ろしいことでも受けとめようとする意志だ。
結局、地球にいると言うことは、常に重力がかかった状態で生きていること。生きることは同時に悲しみやつらさや心細さとともにあるということでもある。そういう意味では、日本語タイトルはゼロ・グラビティなのだけど、作品の真意としては原題のグラビティ(重力)の方がふさわしく感じる。
常に重力がかかった状態で生きるのは簡単ではない。だが、見守ってくれている存在もいる。そのあたりもこの映画は抜かりがない。もしかしたら、元登山家がK2の頂上近くで出会った者たちは、実は温かく見守っていたのかもしれない。彼らの世界へ連れ去ろうとしたのではなく。(オライカート昌子)
ゼロ・グラビティ
2013年 アメリカ映画/SF・サスペンス/91分/原題:GRAVITY/監督: アルフォンソ・キュアロン/出演・キャスト:サンドラ・ブロック(ライアン・ストーン)、ジョージ・クルーニー(マット・コワルスキー)、エド・ハリス(声の出演)/配給:ワーナー・ブラザース
2013年12月13日(金)全国ロードショー<3D/2D同時公開>
『ゼロ・グラビティ』公式サイト http://www.zerogravitymovie.jp/