誰も見たことのない、「イランの少女更生施設」にカメラが入る。
ハーテレという少女は、叔父の性的虐待で家出。放浪罪で収容された。
シャガイエも性的虐待から逃れ、まちの路上で薬物使用者となったらしい。
少女ガザールは薬物の売人を強要され、自傷癖をもつ一児の母である。
ソマイエは父親のDVから家族を守るために殺人を犯してしまった。
マスーメは愛する母親から疎外され一人ぼっちになってしまった。
アヴァは、フェレシュテは、そして、少女651の罪状は、、、
少女たちは、「私の罪状? それは生まれてきたこと」と嘆き、
「わたしの夢? それは死ぬこと」と俯く。
時折、カメラを意識してか、瑞々しく無邪気な表情を見せる少女たち。
貧困や虐待といった過酷な境遇を生き抜いてきた同志として、
彼女たちの間に流れる空気は優しく、そしてあたたかい。
しかし、ふとした安堵の瞬間に少女たちの瞳からは涙が溢れ出す。
これは、撮影許可に7年もの歳月をかけ、
初めて施設内の少女たちを綴ったドキュメンタリー映画だ。
一人一人、その繊細な内面に寄り添うようにインタビューを続けたのは、
イランを代表するドキュメンタリー作家メヘルダード・オスコウイ。
まずは、意味深なタイトルの一部、『夜明けに夢をみる』のイミを伺った。
「イランだけの話かな、、、死刑が執行されるのは朝方なのです。
それも朝5時と決まっている。
そして、イランでは、『朝方にみる夢は一番正しい』とか、
『朝みる夢は現実になる』と言われているのです。
彼女たちにとって、朝方にみる夢とはどんな夢なんだろう。
長い間、膨大なリサーチ資料を眺めながら、私なりに想像してみたんです。
そして、やがてこのタイトルが浮かんで来たのです」
それにしても、イランという官僚制度のお国柄、
成人の男性が少女ばかりの施設に入って
長い時間を共にするというのは、かなり難儀な撮影だったと思いますが。
「過去に2本、イランの少年院をドキュメントした経験があったんです。
その撮影中、同じ敷地内に少女専用のセクションがあることを知りました。
少年たちは西側、少女たちは東側と分かれていたのです。
年齢別に、少年たちの棟は複数あって600人ぐらい収容されていました。
少女たちの棟には、(映画でご存知のとおり)15、6人です」
海外のドキュメンタリーを見る場合、できる限り2回見るようにしています。1度目は字幕なしで、登場人物の表情や暮らしぶりを何の先入観もなしに眺めながら想像していく。不思議なことに、言語がわからなくとも、メッセージは届くんです。よくできたドキュメンタリーはね。笑。
2度目の鑑賞は確認の意味を込めたものですが、大きな行き違いはない。
よくできたドキュメンタリーではね。笑。
「で、どーでした」
間違いなく、内容、メッセージともに届きました!
「よかった」
それ以上に、想像して見ていたものより彼女たちのコトバがショッキングで
何か我々に出来ることはないものかともがきました。
「少女たちのほとんどは、過去に男性と何らかの問題があった10代の子供たちなんです。トラウマになるような体験を持ち、男性によって傷つけられた。
彼女たちがカメラの前で居心地が悪そうだと感じたら、撮影は中断せざるをえません。感情が揺さぶられ続けた撮影でした」
監督の過去のインタビューに、「撮影は20日ほどで終わりました」
とありますが、上映時間76分の中には本当に劇的なシーンがありますね。
たとえば、早朝の静寂を破る突然の遠雷!
そして、新年カウントダウンの秒針と新年を告げる爆音!
なにやら周辺国紛争の着弾音か、と身震いするほどでした。
「感じ取ってくれてありがとう。
私たちが見せる映像の裏には、たくさんの話が隠れています。
見る側にどこまで感じ取ってもらえるでしょうか。
日本もイランも詩(ポエム)を大切にしている国です。
ポエムは単に読むだけのものではなく、その裏には様々な物語が隠されていて、読み手によって様々な感情が生まれてくるものでしょ。
ひとつの画面の裏、そして見えない部分にも多くのストーリーがある。
観客の皆さんにはいろいろと感じ取ってほしいのです」
なるほど、メヘルダード監督は日本人的感性もお持ちなのですね。
「小津安二郎監督を敬愛していますからね。あー、OZU監督の『東京物語』。
とてもとても簡単な話だけど、見る側は深い孤独を感じます。
初めて私が『東京物語』を見たとき、涙がポロポロと流れてきたんです。
なぜこんなにシンプルな映画で泣いているんだろうと思った。
どこか私の心の中で自分の晩年を考えていたのかもしれません。
OZUさんもポエムや音楽を大切にされてきた監督だけど、
私たちは目の前の映像だけでなく、ひとつひとつの行間を
読み取っていかないといけないのね」
(なにやら淀川長治先生と話をしているみたいになっちゃったので,
ここらで映画の本心を突く質問を投げてみた)
少女たちが、更生施設にやってきた男性に質問するシーンがありますね。
「なぜ、男性よりも女性の刑が重いのですか?」
「なぜ、子供には人権がないのですか?」
しかし、男性は答えをはぐらかしてしまう。
聞くところによると、
メヘルダード監督にも少女たちと同じ15歳の娘さんがいらっしゃいますが、
このようなイランの疑問を娘さんから問われたらどうお答えになりますか。
「まいったなぁ、いい質問です。
まず、映画に出てくる男性、あの方は宗教者です。
少女たちには週一で会いに来ているんです。
そこで、その宗教者に聞いたところ、
『私は彼女たちの質問には一切答えることができないんです』と。
じゃあなぜ、週一で訪ねてくるんですかと聞くと、
『彼女たちがそうした質問や疑問を吐露することで彼女たちは少しだけ
心が安らかになる。そうさせることが私の仕事』と云うのです」
切ない話ですね。
「じつは私も少女たちの質問に答えることは不可能だと思ったんです。
彼女たちの悩みは深すぎるから、答えが見つからないと思うのです。
実際、娘に同じような質問をされたらどう答えられるのか。
自分が関わっていることには責任を持って答えられるけど、
国とか、法を司っている部分の質問にはどうでしょうか。。。
少なからずそこに規則があるところでは、私も答えようがないかもしれない。
うーん、『私もわからないよ』と答えるだろうなぁ。
ただ、私が映画を作る目的のひとつに、
たとえ1%でも、何かを変えるチカラがあることだけは伝えたい。
法は法として決まっていることでも、疑問を持たないと全く変わっていかない。
少年施設をドキュメントした時には、一つの変化がありました。
変えることができたんです。
それは15歳未満の少年を囚人として収監しないこと。
その施設をなくすことができたんです。。。」
インタビュー前の雑談で、監督のこんな話もあったっけ。
「いまの商業映画は、ラブ・ストーリーにしてもアクションにしても、
すべての問題は解決してしまい、観客に考えさせる映画はないでしょ。
映画館を出ればみんな忘れてしまう、そんなものばかり。
私は、『いまの現実』を描いて、何がどうなっているのか、目の前の
問題に対して、戦っている人もいるんだ、ということを見せていきたい。
こうした映画をプロデュースする人、リサーチして構成していく人、
プレゼンする人、こういう人たちや作家は『特別な人』になってしまった。
私はインデペンダントとして仕事をしていかなくてはならないけど、
『声をあげられない人』には『声をあげられる立場』を作ってあげたい」
メヘルダード監督の『少女は夜明けに夢をみる』は、ベルリン国際映画祭での受賞を皮切りに、すでに40カ国近い映画祭で好評を得ている。
この流れは映画を自立させ、アメリカ、フランス、スイスと続き、
ついに日本での一般公開となった。
監督、そして、少女たちの心の叫びは多くの人々を動かすに違いない。
『少女は夜明けに夢をみる』
11月2日(土)より岩波ホールほか、全国順次ロードショー
原題:Royahaye Dame Sobh/英題:Starless Dreams
監督:メヘルダード・オスコウイ
製作:オスコウイ・フィルム・プロダクション
配給:ノンデライコ
宣伝:テレザ、リガード
2016年/イラン/ペルシア語/76分/カラー/DCP/ドキュメンタリー
©Oskouei Film Production