『ジュリアン』監督雑談、あれこれ

長編第1作目にして、ヴェネチア国際映画祭 監督賞を受賞。

昨年のフランス映画祭でも圧倒的支持を集めた『ジュリアン』が

満を持して公開される。

日本での配給元、アンプラグドさんのチラシには、

「張り詰めた緊張感が終始途切れず最後まで続き、観る者を圧倒する。

車の音、エレベーターの音、暗闇など、身近な物音を効果的に使い、

観客の想像力を最大限に引き出す手腕は見事!

サスペンスを超える傑作ドラマが誕生した!」とある。

一字一句、全くもって大賛成。

ちなみに、この韓国版ポスターをご覧いただきたい。

主人公のうつむいた表情をメインに各国メディアの賛辞が躍っている。

ハングル語は読めないが、絶賛評ばかりだろう(笑)。

ストーリーはこうだ。

離婚を申請したミリアムとアントワーヌのベッソン夫婦。

妻ミリアムは夫のアントワーヌが暴力的だとして、

息子ジュリアンを守るために単独親権を要求する。

一方、アントワーヌはそれを侮辱だと主張。

裁判官は共同親権の判決を下す。

こうして11歳のジュリアンは、対立の深まる両親の間で、

最悪の事態を防ごうとして追いつめられていく。。。

来日中のグザヴィエ・ルグラン監督に20分お時間をいただくことができた。

で、あれこれと伺ってみた。

アメリカ公開時のタイトルは、『CASTODAY』(親権)ですが、

本国フランスでのタイトル『Jusqu’a la garde』の意味は?

「戦争用語で、最後の最後まで戦い抜く、あるいは、刺したナイフを付け根までさらに押し込む、という意味があります」

うっ、それは強烈なタイトルだ。

家庭内暴力をテーマにした映画ですが、監督の脚本ですか?

「そうです。書き上げるまでに多くの聞き取りをしました。家庭内暴力の被害を受けた女性たちからね。驚くことにフランスでは、ドメスティック・バイオレンスによって2日半にひとりの割合で女性が死亡しているのです。メディアでも取り上げられますが、未だにタブー意識は根強い」

『ジュリアン』は社会派の映画ではなく、ある種サスペンス映画、さらに言うならばエンタテインメント・ホラーとして描かれていますね。こうした商業的ジャンルにすることで多くの人に見てもらえ、議題にも上るわけですね。

「私はこの映画を社会問題として撮りたいとは思いませんでした。映画のパワーを駆使して、観客の意識を高めたかった。見る者の感覚を刺激して画面に引き込む。ヒッチコックやハネケのような映像のパワーを使ってね」

映画は、日が差し込む離婚調停室に始まり、物語が進むにつれて段々と画面が暗くなっていく。仕舞いには映画館の暗闇と同化したようなシーンが現れる。画面と劇場内の境目が無くなって私自身ドラマの中に放り込まれた感じでした。

海外メディアのコメント、「張り詰めた緊張感とスリル」(ニューヨーク・タイムズ)、「何度も心臓が止まった」(ヴァラエティ)を舐めてました(笑)。

「暗闇にいると、私たちはそこに慣れてくるものですが、同時に耳も研ぎ澄まされてきて、異様な感覚になる。その恐怖ね」

例えが良くないでしょうが、2015年「パリ同時多発テロ」の人質の恐怖を連想しました。正直、そうした意識はありましたか?

「撮影中、あのテロのことは頭にありませんでしたが、なるほど、と思う気がします。家庭内暴力というものは家族の中に起きるテロのようなもの。その被害に遭う多くは子供であり、女性であったりする」

恐怖に震えるシーンで、白いバスタブが象徴的に使われていましたね。中で身を隠す人がまるで子宮の中の胎児のようだった。観客もまた、息を殺して静まりかえっていましたよ。

「おっしゃる通り! あのシーンでは、まるで人間が母親の子宮に戻っていくような感じになって、美術担当者とアイデアを突き詰めた結果、真っ白なバスタブを使おうと意見が合ったわけです」

もうひとつ印象深いのが、劇中に流れる唯一の音楽! CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)1969年の名曲『プラウド・メアリー』。

フランス映画にあって、アメリカの曲が延々と歌われる。

ズバリ、その理由は?
「理由はふたつ! ひとつは、現代の曲より少し前の曲、懐かしいけど埃をかぶったような曲ではなく、いま聞いても新鮮な曲にしようとしたこと。

もうひとつは、ティナ・ターナーの持ち歌でもあったということ。ご存知の通り、彼女もドメスティック・バイオレンスの被害者でもあったので、彼女へのオマージュでもありました」

なるほど! いまに始まった問題ではないということを『プラウド・メアリー』に乗せたわけですね。

「最初はスロー・テンポで始まるけど、徐々にテンポ・アップして、皆が狂乱していく。。。物語も静かな幕開けから段々と。。。」

そうそう、『プラウド・メアリー』はベトナム戦争時にヒットした曲で、ゴスペル風であって、白人から逃れる黒人の話ですもんね。映画の中でもバラード調からジワリジワリとロックンロールへとリズムが変わっていく。これもいまある迫害や恐怖から一目散するイメージですね。

「プラウド・メアリーを歌うジュリアンの姉、ジョゼフィーヌの生き方にも注目してほしいわけです。やっぱり、女性は男性よりも早熟なのね。18歳ぐらいには家族から離れて自立したい。自分のパートナーや新たな家族を持ちたい。そんな心理的なこともプラウド・メアリーで表現している」

こうして話し始めると映画のラストまであれこれと語ってしまいそうになりますね。これ以上は書けないなぁ。。。(笑)

「察しのいい人はラストシーン、ある程度分かってしまったんじゃないの?」

いやいや、『ジュリアン』の衝撃の結末は誰にも予測不能でしょう。


「ふふふっ。私もそう思うよ(笑)」

インタビュー室を出て、しばらくしてからこんなコトを思い出した。

むかし、あの淀川長治さんが話してくれたコト。

「アンタ、分かる? 映画館はお母さんのお腹の中だよ。かすかな話し声と真っ暗やみの中で、ゆったり安心できるでしょ。映画終わったら皆どんどん明るい方に出て行くね。コレ、出産ですね。外にはキビシイ社会が待っている。怖いですね〜。怖いですね〜。ずーっとお母さんのお腹にいたかったね〜」

そういえば、『ジュリアン』を見終わって場内が明るくなった時も、この「映画館は母の子宮」噺しを思い出したっけ。

えっ、まさか、グザヴィエ監督も、この「映画館は母の子宮」噺しを知ってたのか? いや、まさかね。

(文/取材 武茂孝志

『ジュリアン』グザヴィエ・ルグラン監督・脚本作品

© 2016 – KG Productions – France 3 Cinéma

2017年・フランス・93分・原題:Jusqu’a la garde・カラー

1/25(金)より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町他

全国順次ロードショー