ほとんど人も車も通らないひなびた田舎道に並ぶ三つの宣伝看板(ビルボード)が映画の冒頭の光景だ。誰も見ない看板。10年以上更新されていない宣伝。

それをじっと見入る女性がいる。何か思案するように。ミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は宣伝会社に行き、広告を依頼する。娘を殺した犯人を捜そうとしない警察を動かすために。

だが警察も署長のウィロビーも、ただ手をこまねいているわけではない。何の手がかかりもないためどうしようもなかっただけ。だからミルドレッドの行動は、正しくもあるけれど、的外れでもある。みんな最善を尽くそうとするのに結果は正反対。そのあたりがやけに人間臭い。悲しくもブラックなコメディである理由だ。

監督は、はみ出た人間をゆるめな口調でブラックに描く作風に定評のあるマーティン・マクドナー。『ヒットマンズ・レクイエム』(2008)『セブン・サイコパス』(2012)ときて、『スリー・ビルボード』。

対象に時に接近し、時に突き放す緩急自在な方法を使う。それはさらに磨きがかかって、見ているこっちは魔法にかかったように翻弄される。心地よいシーンの次に訪れる凄みのある恐怖の世界。それがコメディならば、命がけなコメディなのだ。

たとえば、湖のほとりで過ごすふんわり平和な休日の後に起こす出来事。母と子のよくある口論の末の非情な結果。ABBAのチキチータの甘いメロディに浸った後の、人生の目的すら捨て去る絶望等々。そんな具合に、正反対のものがほぼ同時に提示される。そこがマーティン・マクドナー監督の手法なのだろう。

異質なものを同じ比重で突きつけてくるためには、俳優たちの技量も相当なレベルが必要だ。フランシス・マクドーモンドも、ディクソン役のサム・ロックウェルも、今まで隠し持っていたものさえも吐き出して、存在感を誇る。この二人の技量が優れているのは、以前から相当なものとして知られているけれど。

今回はウィロビー署長を演じるウディ・ハレルソンの天使のような優しい存在感に私は圧倒された。それこそ、性格俳優であり続けたウディ・ハレルソンが持っているとは思えない資質を見せられたような感動だ。

愚かかもしれない、攻撃を抑えられないこともある。そんな人間に対するこらえきれない愛情が引き出される、ラストは圧巻。

オライカート昌子

スリー・ビルボード
(C)2017 Twentieth Century Fox
全国ロードショー
公式サイト http://www.foxmovies-jp.com/threebillboards/

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