身代金目的の誘拐という犯罪は、極めて成功率が低いうえに
刑罰が重いことから、俗に“割に合わない犯罪”と言われるが、
中米のメキシコではそのような常識は一切通用しない。
犯罪組織による誘拐ビジネスが横行するこの国では、
2020年に826件の誘拐事件が報告されている。
ただし、治安当局への届出を前提とするこの件数はうのみに出来ない。
同国の国立統計地理情報院によると、届出率はわずか1.4%。
実際には年間約6万件にもおよぶ誘拐事件が頻発していると推定され、
多くの庶民が組織の報復を恐れて泣き寝入りを強いられている。
日本では知られざるメキシコの誘拐ビジネスの闇に迫った『母の聖戦』は、
ルーマニア生まれでベルギーを拠点に活動するテオドラ・アナ・ミハイ監督の劇映画デビュー作。
犯罪組織に誘拐された娘を奪還するため、命がけの闘争に身を投じた
女性の実話をベースに、ごく平凡なシングルマザーの主人公が
たどる想像を絶する運命を映し出す。
この3ヵ国合作の野心的な国際プロジェクトは、
名だたる映画人のサポートによって実現した。
現代のヨーロッパを代表する名匠のダルデンヌ兄弟、
『4ヶ月、3週と2日』でカンヌ映画祭パルムドールに輝いた
ルーマニア・ニューウェーヴの重要監督クリスティアン・ムンジウ、
『或る終焉』『ニュー・オーダー』で知られる
メキシコの俊英ミシェル・フランコがプロデューサーとして参加。
ワールドプレミアとなった第74回カンヌ国際映画祭で
大反響を呼んだ本作は「ある視点」部門で勇気賞を受賞し、
第34回東京国際映画祭では審査委員特別賞を受賞した。
メキシコ北部の町で暮らすシングルマザー、シエロのひとり娘である
十代の少女ラウラが犯罪組織に誘拐された。
冷酷な脅迫者の要求に従い、20万ペソの身代金を支払っても、
ラウラは帰ってこない。
警察に相談しても相手にしてもらえないシエロは、
自力で娘を取り戻すことを胸に誓い、犯罪組織の調査に乗り出す。
そのさなか、軍のパトロール部隊を率いるラマルケ中尉と協力関係を結び、
組織に関する情報を提供したシエロは、
誘拐ビジネスの闇の血生臭い実態を目の当たりにしていく。
人生観が一変するほどのおぞましい経験に打ち震えながらも、
行方知れずの最愛の娘を捜し続けるシエロは、
いかなる真実をたぐり寄せるのか……。
入念なリサーチを重ねて本作に取り組んだミハイ監督は、
決して裕福ではない庶民が犯罪組織に搾取され、
警察にも取り合ってもらえない非情な現実を描き出す。
ある日突然、娘を誘拐された主人公シエロが容赦なく身代金をむしり取られ、
たちまち孤立無援の極限状況に陥っていく導入部からしてショッキングだ。
しかし、驚くのはまだ早い。
誰にも頼れないことを悟ったシエロは、
危険を顧みず犯罪組織への監視、追跡を行い、
軍をも巻き込んで娘の捜索を繰り広げていく。
その凄まじい執念の源である“母性愛”こそは、
ミハイ監督が追求したもうひとつの重要なテーマである。
このセンセーショナルにして骨太な社会派ドラマは、
並外れた緊迫感がみなぎるクライム・スリラーでもある。
全編にわたって主人公シエロの視点でストーリーが展開する本作は、
観る者を誘拐ビジネスの闇の奥深くへと誘い、
この世のものとは思えない理不尽な暴力が渦巻く光景を目撃させていく。
ドキュメンタリー出身であるミハイ監督の、
リアリスティックな眼差しに貫かれた映像世界の強度に
息をのまずにいられない。
ハンディカメラのショットを織り交ぜ、
濃密なサスペンスの創出に貢献した撮影監督は、
ラドゥ・ジューデ監督の問題作
『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版』
などに携わってきたルーマニア人のマリウス・パンドゥルである。
『母の聖戦』
2023年1月20日(金)
ヒューマントラストシネマ有楽町、
新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開
監督:テオドラ・アナ・ミハイ
製作:ハンス・エヴァラエル
共同製作:ダルデンヌ兄弟、クリスティアン・ムンジウ、ミシェル・フランコ
出演:アルセリア・ラミレス、アルバロ・ゲレロ、アジェレン・ムソ、
ホルヘ・A・ヒメネス
2021年/ベルギー・ルーマニア・メキシコ合作/135分/カラー/スペイン語/5.1chデジタル/ビスタサイズ
字幕翻訳:渡部美貴
映倫G
配給:ハーク
配給協力:FLICKK
宣伝:ポイント・セット
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