2月25日(土)より『彼らが本気で編むときは、』が公開されます。『彼らが本気で編むときは、』は、第67回ベルリン国際映画祭で「テディ審査員特別賞」「観客賞(2nd place)」ダブル受賞しました。テディ審査員特別賞は、LGBTをテーマにした37作品から選出されました。日本でも話題となっている本作について、内海陽子、オライカート昌子、中野豊の三人で鼎談を行いました。その模様をレポートします。

結婚という愛の形を得るための厳しい条件とは

© 2017「彼らが本気で編むときは、」製作委員会
内海:今朝(2月8日)の新聞で読んだ記事ですが、男性になりたい女性が、長年一緒に暮らしている女性と結婚したいとする。その場合戸籍を変えて、女性から男性にならなければいけない。ですがそのためには不妊手術をしなければならないそうです。
で、この映画でリンコさんは、手術をしているわけです。恋人と結婚したいということもあるけれど、今までの情報では、女の身体が欲しかったからだろう、と私は単純に思っていました。

ところが、性別を変えるために、男性でなくなる手術をするということは、機能を失う。彼は子供をつくることはできない。というテーマがあったわけですよ。だから編み物。異様な数を編んで、最後は燃やすでしょう。あそこだけひっかかっていて。うらみがましくて、嫌だなという気持ちがないでもなかった。ですが、彼女は好んで男性自身を失ったわけではなくて…ということがわかりました。

オライカート:ということもある。

内海:だからこそ、編み物を編むわけでしょう。自分からすすんで女性の身体になりたいがために手術を受けたなら、そんなにうらみがましく、編み物をあんなにたくさん編む必要はないでしょ?

オライカート:この映画のテーマのもうひとつとして感情のコントロールがあります。108のあれを編むことによって、心を静めるということ。それだけリンコさんには、つもりつもったものがある。彼女に対する抑圧や世間の風当たりがあるということ。怒りをコントロールするには、108作らないとならなかったということではないかと思いました。

内海:それはきれいごとに感じますね。映画ではそうなっていますが。今朝のニュースは、女性と暮らす、男性になりたい女性、つまりレズビアンとして夫婦になるためには、望んでいないのに女性の身体に不妊手術をしなくてはならない。それは人道に反するという訴えを起こして、第一審で却下されたというニュースなんですよ。

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女性のままで女性と暮らして夫婦になりたいと。それでも不妊手術をしないと結婚が認められないと。それは知らなかったでしょ? この映画はそれを声高には言っていないけど、そういう制度の下で夫婦になろうとしてる話でもあるのよ。108の話もわかるけれども。そういうことをあまり大げさに言うと社会派映画になっちゃうから、伏せたのかもしれないし、あるいは「皆さんご存知でしょうが」というニュアンスなのかもしれないけれど。

中野:知らなかったです。

オライカート:でも、映画とは無関係なニュースなわけですね。

内海:そう。だけどこの映画はそれを踏まえているような気がするんですよ。つまり精神的にきれいに表現しているけれど、それはやっぱり悔しいからよ。本当に女の身体になりたくてなったのなら、あんな異様な描写はなくてもいいのでは。

オライカート:彼の場合は、同性愛ではなく性同一性障害なわけなので、「神様が間違ってこの身体を作ってしまったのよ」というように、間違っているので直さなきゃ、というところがあると思いますが。

内海:心のバランスが取れないということで、いろいろな言い方があるけれど、もともとの身体のままで男として生きたい、女として生きたいという人もいるわけでしょ。それを一律に一方的に不妊手術を求められる、それはかなりひどいことではないかと思って。だったら結婚しないでいいんじゃない? って私は思いますけどね。

オライカート:彼らにとっては愛の形として結婚という事実が大切なんでしょうね。

内海:家族を作るという意味でね。でもそのために子供を作れない身体にすることを求めるのが凄いよね。それを考えたのは男だな、って私は思う。

脚本がしっかりして演出力がかっちりしてゆるさがない

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オライカート:話は変わりますが、最近は皇帝ペンギンのように男性が女性の代わりに赤ちゃんを前抱っこやおんぶしている姿が目に付きますね。女性が前抱っこしているのを見るほうが珍しいですからね。

中野:そうですね。よく見かけます。

オライカート:10年前、20年前には考えられなかった。今は10年もすると意識が変わってきている。社会が変わる速度が早くなってきているように思いますね。性同一性障害という概念も新しいですよね。現象としてはあったと思いますが。概念としてはなかった。

中野:昔は精神病的な問題として捉えられていましたね。それが違うとわかってきた。

内海:小池栄子演じるおばさんが一般人だと思うよ。そんな簡単に変わらないから。裁判など起こしたらさらに白い目で見られる。それは覚悟の上だと思いますが。

中野:この作品は、現代の象徴として作ったんでしょうね。
荻上直子監督ですが、『レンタネコ』(2012)と『かもめ食堂』(2006)にはまりました。ちょっとゆるめだったんですけど。今回の映画はかなり脚本がしっかりしていて演出力ががっちりとしていて、今までのゆるさがないんです。

内海:もともと作戦を立てる人なんでしょうね。意表をつく。

中野:そうそう。

内海:女性監督がどうやってこの世界で生きぬいていくか、ということを考えてきたと思う。わたしも『かもめ食堂』(2006)、『めがね』(2007)が好きです。小林聡美さん、もたいまさこさんがからむとおもしろい。あとの作品はゆるいし自己模倣ですね。この『彼らが本気で編むときは、』で初めて懐の刀を抜いたというか、女性監督という看板を下ろして、荻上直子という監督としてしっかり勝負するわよ、という感じがする。

オライカート:これを描きたかったけれど、今までは本当に描きたいものから少し外れたところを描いてきたけれど、本当はこれをやりたかったのよ、という力強さを感じます。

内海:本当は、というのでなくて、今までは作戦として描いてきた世界、それがうまくいった。次にこれを発見したということじゃないかと思います。

オライカート:引き出しがたくさんあって、そのひとつとして。

内海:おそらく結婚なさったことでテーマが見出されたんじゃないかと思います。人間は変わっていくわけだし。成長というか、踏み込みが深くなった。場合によっては誤解を招くかもしれないし、大失敗するかもしれないテーマでしょ。ここで野心を見せたことは、すごく応援したい気持ちになります。中野さんとも同じ意見ですが、自然さがいい。

中野:そうなんですよ。

内海:生田斗真さんの。

怒りの解消は編み物でできるという提案

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中野:わたしの姪はすごく背が高いんですよ、だから猫背になる。それはコンプレックスなんです。生田斗真さんの演技はそれに近い。自分のコンプレックスから動き、肩をすぼめて女性らしさを見せる。それが自然にできているんです。自然さがたまらなかった。なんでできるんだ?って。生田さんを持ってきたという、配役も凄いです。

内海:監督のご指名だったようですね。

オライカート:それをやりきっている、なりきっているところが凄いです。

内海:なりきっているというより寄り添っているんです。彼そのものではないリンコさんを作り出して、寄り添っている。寄り添う演技は難しいんですよ。なりきりは臭うの。なりきると熱演になるから。この生田さんの演技は熱を感じさせない、高級な演技なの。

オライカート:リンコさんという人は素敵な人じゃないですか。愛おしくなっちゃうような人で、忘れられない人ですよね。心の中にある怒りやコンプレックスを普段は解消しているので、ソフトで優しい。しかも怒りの解消は編み物でできるよという提案。簡単なことじゃないですか。私も以前編み物をやっていましたが、みんながやっていて静かな空間になるんです。

中野:精神衛生上いいのですね。

オライカート:瞑想とか、ウォーキングとかジョギングなどと同じようですね。無心になる。

内海:わたしはそんなにカッコいい人間はいるわけないと思う。男も女も。彼女はずっと怒っているんだと思いますよ。

オライカート:でも見せない。

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内海:タイトルがそういう意味でしょ。『彼らが本気で編むときは、』怒っているとき。というタイトルでしょ。だからそんなに愛おしい女じゃない。彼女はずっと演技して生きて行かなくてはいけない。

オライカート:演技しているわけではないと思いますが。女性の真似をしているわけではない。

内海:いえ、そういうことではなくて。誰からも好かれるというより、誰からも嫌われないように、慎重に自分が大事なものを選んで生きているという意味ね。それは演じないとダメです。つまり野放図には生きられない人生を選んだということ。その苦しみをずっと抱えて、怒ってるんですよ。だから怒りを封じ込める。そういうつらい女の話なんですよ。彼女はつらいところに自分を追い込んでいるがゆえに、人のつらさとか哀しみに対してとても敏感で、トモちゃんの気持ちにもすっと入るでしょ。トモちゃんが心を開くにはずいぶん時間がかかるけれど、素晴らしい精神科医、カウンセラーのような女性に育っている。でも最初からいい人とか、愛おしく感じられる人というのではないと思います。

いろいろな人とのかかわりにおいていい人になったり、いやな人になったり、いろいろなことがあっても、彼女は好きな人を選んで相思相愛になって、彼の姪であるトモちゃんを守っていこうと思ったときに、彼女の中にある良さがどんどん出てくる。

オライカート:わたしが思ったのは彼女がリンコさんになったのは母親の影響が大きいのではということです。あのお母さんは何でも受け止めて、何でも戦う。息子=娘のために。その守り方は攻撃的なぐらいです。あれだけ守られたら、こどもはまっすぐ育つんだろうな、って思うんです。

内海:私の考えは違います。人間は守られれば守られるほどグレちゃったりしますよね。

オライカート:でもリンコさんにすれば、味方が常にいたということですから。

内海:味方を味方と認識できる明晰さを持っている女、という設定だと思います。人間はもっともっと厄介で、そう単純なものではないと思うんですけど。

オライカート:そこはきれいごと的に描かれているとは思うんですが。

りりィの遺作としても記憶にとどめたい

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内海:ちょっと田中美佐子は力不足だったかな。それこそ母親役をりりィにやって欲しかった。認知症とおぼしき母親の役も良かったけど。

中野:りりィの遺作としても記憶にとどめたいですね。

内海:もしりりィが母親役だったら、昌子さんの言うことにもっと説得力があった。田中美佐子だとただ発展家のお母さんみたいで。理解はあったけれど、守る力はあったかなというのがね、ちょっと線が細いというか。なんとなく親子としてしっくりこないのよね。

オライカート:それはありますね。

内海:お母さんが少し能天気なので、息子=娘は彼女なりの乗り越え方をしたと思うな。でないと、トモちゃんへの優しさがピンとこない。彼女の中にあるもので、彼女が必死で獲得したものだと思います。自分が選んだ家族を幸せにすることが、自分の幸せであるということです。そういう思いを決めた女、だけどこぼれるものもある。それで編む、心を立て直す、怒りを抑える。あのニュースでよくわかりましたね、この映画の仕組みが。

中野:ニュースの話にはびっくりしましたね。監督は20代の頃、ロサンゼルスで暮らしていて、LBGTの人を身近で見ていて、だからすっとできたんでしょうね。

内海:取材力ですね。何年もかけて取材したということですね。あらためてデビュー作といってもいいほどの気合いを感じますね。

中野:傑作ですね。

男の性の欲望はあやふやだった

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内海:桐谷健太さんのマキオはいかがですか? 性的描写がほとんどない。

中野:男性の性として、そこがあやふやですね。性をほぼ感じられなかった。

オライカート:そこをすっとばしていますね。

中野:そう。

オライカート:女性監督だからわからないのでしょうか。

内海:そんなはずはないでしょう(笑)。とにかくマキオの欲望がわからない。いい人だよってだけでは夫婦になれないよね。中野さんのいう“人間愛”だよね。

中野:“人間愛”なんだけど、性愛の部分が抜けている。

内海:最初は単に友人かと思ったんです。彼女は性同一性障害を抱えているけれど、彼はその人間性に惚れて、シェア生活しているのかと思ったの。

中野:そう感じますよね。

内海:ところが結婚したいわけだし。そのために名前を変えたりしなくてはならないし。

オライカート:彼の欲望が伝わってこないですね。

内海:とってもいい人だということはよくわかるけど、女としてどう見ているかということ。性同一性障害を抱えた人間に惚れるということは、明確に理解して惚れるということだから。

中野:そうしないとそうならない。理解しないと。

オライカート:まず最初に欲望があるわけですからね。そこから始まる。だけど一番大事なところが抜けているから、きれいごとになっちゃう。

中野:確かに、きれいな映画でしたね。

内海:わたしたち女はそんなに気にならないけれど、男の人は気になるのでは?

中野:人柄に惚れるということだと思うんですけど、根本的に性的な欲望は必要でしょうから、それが抜けているのは、女性視点か、あるいはそこはわざと抜かしているかとしか考えられないです。

オライカート:仕方がないことかもしれない。

内海:深く追求することは野暮ということかもしれませんね。

内海陽子中野豊オライカート昌子

彼らが本気で編むときは、作品情報・あらすじ

彼らが本気で編むときは、ストーリー

小学5年生のトモ(柿原りんか)は、母ヒロミ(ミムラ)と二人暮らし。ある日、ヒロミが男を追って姿を消す。ひとりきりになったトモは、叔父であるマキオ(桐谷健太)の家に向かう。母の家出は初めてではない。ただ以前と違うのは、マキオはリンコ(生田斗真)という美しい恋人と一緒に暮らしていた。食卓を彩るリンコの美味しい手料理に、安らぎを感じる団らんのひととき。母は決して与えてくれなかった家庭の温もりや、母よりも自分に愛情を注いでくれるリンコに、戸惑いながらも信頼を寄せていくトモ。本当の家族ではないけれど、3人で過ごす特別な日々は、人生のかけがえのないもの、本当の幸せとは何かを教えてくれる至福の時間になっていく。リンコのある目標に向かって、トモもマキオも一緒に編み物をすることに。嬉しいことも、悲しいことも、どうしようもにないことも、それぞれの気持ちを編み物に託して、3人が本気で編んだ先にあるものは・・・

2月25日(土)新宿ピカデリー、丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
生田斗真、柿原りんか、ミムラ、小池栄子、門脇麦、柏原収史、込江海翔、りりィ、田中美佐子 /桐谷健太
脚本・監督:荻上直子
公式サイト:http://kareamu.com
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