『タレンタイム~優しい歌』(2009)が2017年3月25日(土)より公開中です。51歳の若さでこの世を去ったマレーシアの女性監督ヤスミン・アフマド監督の遺作で、映画祭などの特別上映をのぞき、劇場公開されるのは今回が初めて。マレーシアの多民族・多宗教の世界をみずみずしく描いた本作について、内海陽子、オライカート昌子の二人で対談を行いました。

豊かさ、広がり、生と死の対比が鮮やか

© Primeworks Studios Sdn Bhd
オライカート:何の期待もせずに見に行きました。学校が舞台の軽めの青春映画のように始まります。最初の悲劇が起こるまでは何の変哲もないファミリードラマのようにも見えます。悲劇も伏線であり、若い男女の出会いも伏線であり、結末に向かって伏線を回収するたびに映画世界がより豊かに広がっていくような気がしました。豊かさ、広がり、生と死の対比が鮮やかでした。監督の手腕でそれが余すところなく描かれていて、その一つ一つが胸に突き刺さるような衝撃もありました。

内海:私は欧米の映画に毒されていると思うんですが、アジア系の映画にはちょっと乗り遅れるというか、テンポにうまく乗れないことがあるんですね。この映画の場合は、マヘシュ君が障害を持っていることがわからない。まず、あそこで苛立った。普通は、ああいう情報は誰かがさりげなく伝える。それがモタモタしているので、彼女との間に余計な軋轢が生まれる。また、最初の悲劇の場面がわかりにくい。そういう簡単なことは情報として先に出して欲しいなと、思います。

それと、マレーシアという国の国情を知らないので、プレスシートをよく読まないと、民族や宗教の融合における微妙な違いがわかりにくい。だからマレーシアの映画をたくさん見ている人、東南アジアの文化圏について通暁している人はスーッといくんでしょうけれど、私は最初の段階で、名前もわかりにくいし、タレンタイムを主催している太った女性と、入院しているお母さんを混同してしまったんですよ。太っているあの人が入院してしまったんだと思ってしまいました。

あと男性にタイプの顔がいないというのもありました。インド系のような目のパッチリとした濃い顔があまり得意でないので。好きなのはさっぱり系と酷薄系なの。昌子さんは、そういうことに一切惑わされないんですか?

オライカート:顔ですか? そうですね。ですが、タレンタイムにでてくる中国系の男の子はそれなりにイケメンでしたよ。

内海:そうですけどあの中では影が薄かった。とにかくマヘシュの聾唖問題をもう少し早くさらりと伝えて欲しかった。

昌子さんが感動なさったのは、過去の体験と重なるところがあって、ノスタルジーに触れるものがあったのかな、と勝手に思ったんです。それなら私は納得するものがある。

国民性の違いを感じる


オライカート:過去の体験というよりは、イスラム教の死生観、ヒンドゥー教の死生観とですが。死生観がテーマというほど、死の影が色濃くでている。映画の中で亡くなる方もいるし、映画以前の過去に大切な人を失った人もでてくる。幸せな文句のつけようのない家族は、ヒロイン、ムルーの家族だけです。過去の悲劇を踏まえてみんな生きていて、それぞれ苦しさを抱えている。生活の担い手を失ったために経済的な苦しさを抱えている人もいる。

この映画の中で出てくる中国系のメイリンというメイドがいます。彼女もまた、大切な人を失って、今は彼女がメイドとして働かなくてはならないわけです。彼女がピアノを弾くシーンがあるのですが、あそこがとても良かった。脇役的な登場の仕方でしたが、あのシーンで、彼女の過去の豊かさや育ってきた道のりが透けて見える。普通中国系というと、東南アジアでも経済的なパワーを持ち、国を支えている人も多いのですが、この映画ではモザイクのような多民族国家のピースのひとつとして描かれています。そういう風に、現在見えている姿と、過去の出来事、未来の姿が重なり合うように思えたんです。

内海:おっしゃることはわかるんだけど、すごく効果的に重なっているという風には私は思えないわ。人がいろいろな過去を抱えているのは当たり前のことですし、死生観にしても、他の国の人にもわかるように丁寧に描くべきだと思うのね。でないと感動はできない。ひとつだけ、不治の病のお母さんのところに”死神さん”とおぼしき車椅子の男性が来ますが、あのエピソードは好きです。いちごが異界への誘いの印なんですよね。あの辺りは日本人の死生観にも通じるものがある。

ですが、ヒステリックになるマヘシュのお母さんが、かつては亡き夫と「ロミオとジュリエット」状態だったと明かされるシーンがあるじゃないですか。あの辺はものすごくイライラします。ああいう風に描くのなら、心理をもっと丁寧に描くか、私の好みで言うと、もう少ししめやかに描いて欲しかった。何かガサガサした女に見える。それはもう国民性の違いかもしれませんが。

親の反対を押し切って、自分の好きな男と結婚して、夫には亡くなられてしまう。にもかかわらず、同じ体験をした弟の仲は裂いてしまう。恋愛はあきらめさせて、いざ結婚の日に悲劇が起きてしまうと、身も世もなく泣き崩れる。みんなに甘ったれてご飯も食べない。あんなお母さんは嫌いです。自分だけ思いを遂げたくせに、自分の息子の「ロミオとジュリエット」関係にもヒステリーを起こすでしょう。ああいう描写はわからない、受け入れたくない。どこの国の映画という問題ではなくて。もう少し共感を誘うべき。文化を超えてね。

オライカート:私は共感しましたけど。どうしてかというと、そんなに頭がいい人ばかりではないし、彼女は自分の過去に関しては全く忘れていたと思う。

人間の情緒と風景の情緒

© Primeworks Studios Sdn Bhd

内海:頭の良し悪しではなく、情緒の問題よ。情緒が理解できないと映画は受け入れられないのよ。あるいは自分の過去と共通点があるか価値観があうか。どんな映画も感情で受け入れるのよ。あのお母さんは受け入れられない。人間だから矛盾を抱えているものだけど、だとしたらもっと丁寧に描くべき。つまり話を広げすぎている。昌子さんは理解度が高いのかもしれませんが。実生活で異文化の違いが自然に入っているから、あの群像劇を比較的理解できるのかもしれない。私は文化的素養がないから、やっぱりここがポイントだよとしぼって描いて欲しかった。

主人公は一人がいい。本当に力がある監督で、訴える力がある監督なら群像劇もできるんですけれどね。これは私の持論であり、他の人も言っていることですが、群像劇は力が要るんです。だからこの作品もマヘシュとムルーの話を軸にして、点景のように他のストーリーが絡んでもいいんですが。同じ力で並列に描いている気がする。時間も少し長いし。

オライカート:そうですね。

内海:総合的な力が足りないかなという気がする。この映画で一番いいと思ったのは風景ね、学校の。ラストシーンもそうだし。ちょっとステンドグラスが映ったり、樹木がさりげなくふっと映るときの情緒がなんとも言えずいい。あれをもっと意図的にやって、全体を詩的にまとめることもできたと思う。いろいろな手法が入っちゃっている。下ネタ的などうでもいいくすぐりはいらない。ああいうのがマレーシアの人には受けるのかしら。まずマレーシア国民に見てもらうわけですからね。

タレンタイムを主催している太った先生に恋をしている男の先生がいるじゃないですか。あの人の使い方ももったいないなあって思いました。あれはあれでひとつの話になりそうですし。

オライカート:入れ過ぎってことでしょうか?

タレンタイムというイベントをきっかけに人が結びつきストーリーが動く

© Primeworks Studios Sdn Bhd

内海:解説が必要な映画かもしれない。一本の映画として誰もが感動するようにもっていくにはちょっと荒い。荒いというか粗雑な感じがする。もう少し丁寧に絞れば、詩的な心にしみる映画になるのになあって思いますね。

オライカート:私は十分に感動しました。並列的にいっぱいのことが描かれているじゃないですか。その有様自体が、マレーシアなんですよ。最先端の文化が衝突しあっている世界です。違う文化の人たちは、親しく付き合うとしたら学校以外ない。コミュニティー以外の人とは会わない。学校で、しかもタレンタイムというひとつのイベントが人を結び付けていく、違う文化圏の人とも。

内海:違う文化圏の人と付き合う場所はないんですか?

オライカート:ないと思います。若者たちは違う民族・宗教の人ともたまに連れ立って遊びにでかけたりすると思いますが、だんだん自分のファミリーや自分のコミュニュティの中が”世界”になるんですよ。違う民族・宗教同士が出会う場面は、必ずしも幸福なものではないとも言えます。

映画のタイトルは『タレンタイム 優しい歌』ですが、タレンタイムというイベントに関係して文化の違う人たちがいやおうなしに出会い、交流します。学校では、違う文化の人たちとも机を並べ、いろいろなところに出かけたりすると思いますが、コミュニュティが別なら、やっぱり違うんです。

映画を語ることは自分を語ること

内海:ところでオライカートさんは国際結婚ですが、その決断の源は何でしたか? 当然反対もあったと思いますが。

オライカート:そうですね。私の場合は、彼と誕生日が同じだったので、それがきっかけになって、彼の家族と出会い、とても居心地が良くて、結婚してもいいなと思いました。

内海:彼の家族の一員になりたかった?

オライカート:なっても不思議ではないな、という感じ。彼の家族は、みんな話も合うし、楽しいし、そういう意味で違和感が全くなかったんです。

内海:もし戦争がなかったら、まだそちらで暮らしていた?

オライカート;わからないですけどね。パレスチナは、占領地だったという意味で他にもいろいろ問題がありました。今は自治区になり、少しはましになったようですが。ところで、映画と関係ないので、このへんはカットしてもいいですか?

内海:それはダメよ。大事よ。私は関係していると思う。わたしは狭量な文化意識の持ち主だけど、あなたは許容する範囲が広いというか、好奇心が強いというか幅がありますよ。それはあなたの生き方と切っても切れない関係にあるからそうなのよ。映画を見るときも、人生観や、生きるうえでの好奇心や、どこに価値を見出すかということと密接に関わっているのよ。つまり映画を語るということは、自分自身を語ることでもあるのよ。

オライカート:それはそうですね。

内海:あなたはこの映画に非常に感動して、ほぼすべて受け入れることができたということは、あなたの生きてきた道筋を物語っているのよ、単純な話。

オライカート:イスラムもそうですが、この映画ではヒンドゥー教の輪廻転生の思想なども描かれていますね。その辺は日本人にも理解しやすいところだと思います。以前インドや中国を放浪していたことがあるんです。

内海:どのぐらい?

オライカート:断続的に行ったりきたりしていましたね。

内海;そういうことも大事よ。その人がどう生きてきたかということは、映画の見方とか感想においてとっても大事な情報なのよ。それを書かなきゃ、映画をなめてることになるわ。私たちが書く文章を読んでくれる人にとって、大切な情報なの。あなたの開けた文化的視座を補強するから、絶対入れたほうがいい。もっと自分の生き方に自覚的になったほうがいいの。この映画に感動できるということは、自分の生き方を肯定していることなのよ。だから自覚して自分の人生を省みないと、もったいない。

この映画に関しては、わたしは自分の人生を否定しているわけではないけれど、あなたのようなゆるやかな寛大な視座を持っていないのね。

オライカート:わたしも内海さんの大好きな映画を受け入れられない場合もあると思います。

内海:私はこの映画を受け入れられないわけではなく、気になるところがあるので、傑作とは思えないだけ。単純で重要な情報は早く出して欲しいというところです。パッと見せる情報と、勿体ぶって少しずつ見せていく情報があるとしたら、パッと見せるべき情報は早くして欲しい。監督が脚本を書いているせいかもしれませんけど、緩急自在という風には見えない。群像がうまく絡んでいない。主人公のムルーの家族をもっと詳しく描いてもよかったかなとも思います。

嫌いじゃないですよ、全然。ちょっと苛立つんですよ。何でもうちょっとスッときてくれないのって感じ。

オライカート:ちょっと残念?

内海:私は下町っ子なんでモタモタしてるのが嫌いなんです。モタモタにもいろいろあって、うまく見せるモタモタもありますけどね。ちょっと下手。

オライカート;すごく下手なんじゃなくて、ちょっとだけ下手? ずっと聞いていると、かなり辛らつな気がしたんですけれど。そうじゃなく、実はちょっとだけ気に入らない?

内海;そう、ちょっとイライラしてるだけ。

オライカート:ちょっとイライラするところがあるってだけですか?

内海:いくつか。

オライカート:いくつかだけ理由があって、聾唖の問題がそのひとつってことですね。でも全体的に見たら良いと。

内海:う~ん、そういう言い方とはちょっと違うかな。ある一点がいいと思えばすべてがいいと思えることがあるし、ある一点が気にいらないと全体がみすぼらしく感じられることもある。映画は人間と同じですから。好感の持てる人=映画なんだけど…でもねえ、というところでご納得いただけますか(笑)。

オライカート:わかりました、そういうことで納得いたしましょう(笑)。

内海陽子オライカート昌子

タレンタイム~優しい歌

2017/3/25シアター・イメージフォーラム、4/15シネマート心斎橋ほか全国順次公開
監督・脚本:ヤスミン・アフマド 
撮影:キョン・ロウ 
音楽:ピート・テオ 
出演:パメラ・チョン、マヘシュ・ジュガル・キショールほか

原題:Talentime|2009 |マレーシア|カラー |115分 | マレー語・タミル語・英語・広東語・北京語
公式サイト  www.moviola.jp/talentime
配給:ムヴィオラ
公式サイト http://www.moviola.jp/talentime/