2019年夏、北の国を舞台とした相反する注目作2本を見よ!  『隣の影』vs『北の果ての小さな村で』

アイスランド映画

『隣の影』

北欧映画、とくに1920年代までのデンマーク映画には、

ヴァンプと呼ばれる悪女、妖女が幅を利かせていた。

サイレント映画時代の頃のハナシだね。

タイトルは失念したけど、こんなヴァンプが登場する映画もあった。

サーカス一団の愛憎劇。

夫が綱渡りを披露していると、その綱をナイフで切ろうとしている妻がいる。

妻の傍にはサーカスの花形でもあるハンサムな愛人の姿もあった。。。

これを喜劇として腹を抱えたか、悲痛と感じたのか、当時はどーだったの。

それはわからない(笑)。

やがて、北欧のヴァンプとして女優ニールセンは悪女のシンボルとなった。

感情の発露そのままに、男たちを狂い迷わせるヴァンプの台頭。

ヴァンパイアの語源がヴァンプであるという説もあながち嘘ではないらしい。

北欧アイスランドの映画、『隣の影』にもヴァンプが登場する。

隣の影とは、隣家の庭にそびえ立つデカい木の影のこと。

その影に隣人は苛立つ。

日照時間が短い北欧にあって、日光浴はかけがえのないもの。

日焼けはステータスでもある。

しかし、そのデカい木の影が貴重な日光を遮ってしまう。

苦情に耳も貸してくれない。

隣り合う2組の夫婦はなんとか解決策を探ろうとするが、

ひとりのヴァンプの行動によってあっけなく崩れて落ちてしまう。

瞬間、映画の文句「消えた猫に、吠えない犬。。。」が現実となり、

我々の想像をはるかに超えた衝撃! がジワリジワリと近づいてくる。

ご近所トラブルがエスカレートしていく事例は、世界どこでも

永遠のテーマだけど、この映画で語られる「身も心も凍る語り口」は、

ヴァンプの仕業なのだ。

この「世界の終焉」を感じさせる映画を撮ったのは、

アイスランド生まれのH・G・シーグルズソン監督、39歳。

過去、アメリカのVariety誌で「注目すべきヨーロッパ映画監督の10人」に

選出された経歴を持つ強者だ。

脚本も監督によるもので、当時のインタビューでは、

「話し合いでは解決がムズカしい、一種のジレンマを抱える物語で、

僕なりの反戦映画でもあります」と語っている。

ほらね、「世界の終焉を感じた」は、あながち間違えでなかったわけだ。

注目すべき点は、役者の布陣にもある。

「木はゼッタイに切らない」と主張するインガ一家に扮するのは、

老夫婦の息子含め3人ともに喜劇役者なのだ。

自国アイスランドを代表する超一流のコメディアンが集結した。

一方、大木(たいぼく)の影に苛立つ隣人エイビョルグ夫婦には

国を代表するインテリ舞台役者が迎え撃つという配役。

置き換えるなら、「吉本喜劇」対「俳優座」のシリアスドラマだろうか。

(ごめんなさい。あまりにも稚拙な対比をこしらえてしまいました)

物語のサブネタにも39歳監督の思いが詰まっている。

インガ老夫婦一家に出戻りとなる息子の顛末である。

ある醜態で、妻から家を追い出された夫(息子)が

大木の下で妻からのメールを読む。

「私たち夫婦はずっと幸せでなかったのかもしれない。

あなたと出会ったあの夜で終わらせれば良かった。

でも、小さな奇跡が起きて、私たちをつなぎ止めた。

なのに互いに譲らず、いつもケンカばかりで傷つけあってきた。

私たちの『宝物』を守ろうとせずに」。。。

少なからず思い当たる節、男女関係なく、あるんじゃないなか。

映画は、ちょっぴり薄日は差すけれど、曇天の下でいがみ合いはつづく。

どんな時でも大木は表情を変えない。

時折、小風に枝葉を揺らすだけだ。

なんとなくだけど、日韓の間で静かにザブンと波立つ日本海を重ねていた。

映画と同様に、その曇天を映し出す海を、である。

隣人、隣国関係がぎこちない今だからこそ見るべき映画だろう。

しかしながら、愛犬家にはお勧めできない映画でもある。

(武茂孝志)

グリーンランド舞台の映画

『北の果ての小さな村で』

こんな経験、誰もが持っているはず。

夜汽車から見える、暗闇にぽっかりと浮かぶ灯り。

目をこらすと人家らしきものも見えてくる。

飛行機から真下を眺めると、細い線の上を動く小さな物体。

眺めていると山道を急ぐトラックであることがわかる。

こんなところに暮らしがあった、と驚く瞬間だ。

自分の人生に照らして愛おしくなる瞬間でもある。

やがて、人家もトラックも離れていくけど、

間違いなくそこには人の暮らしがあったと記憶する。

ドキュメンタリー風ドラマ『北の果ての小さな村で』は、

そんな記憶を蘇らせてくれる人と自然讃歌の映画だ。

ドキュメンタリー風ドラマを「ドキュフィクション」と呼ぶらしいが、

簡単に言うならば、「記録映画」だね。

監督は、サミュエル・コラルデという、1975年生まれのフランス人。

資料によると、フランスの小さな村で酪農を学ぶ

15歳の少年とその友人の日常を追った記録映画「L’apprenti」(直訳=見習い)、

子どもと離れて、1年の大半を海上で暮らすフランスの漁師の寂しさと葛藤をカメラに収めた「Tempete」(直訳=嵐)、

そして、2015年横浜の映画祭で上映された

「リトル・ライオン 明日へのゴール」(原題=COMME UN LION)があり、ここではセネガルからやってきたプロを目指すサッカー少年を追っている。

共通点は、被写体がいずれも10代の子どもで自立して暮らしていることか。

なるほど、「子どもの自立、その逞しさが、コラルデ監督の主題」とある。

新作『北の果ての小さな村で』では、コラルデ監督のカメラは遥か海を越え、厳寒の地グリーンランド東部、人口わずか80名の小さな村チニツキラークに

降りていく。

デンマークから来た青年教師アンダースと子供たちの風景をカメラは捕まえる。

今回の登場人物も前作同様、全て当事者本人だ。

青年教師アンダースは、グリーンランドの近代化に役立ててほしいと

デンマーク語の普及に当たるのだが。。。

オーロラがたなびく極寒の夜。

音を軋ませながらひび割れ、無尽に形を変えていく巨大な氷山。

必死でソリを引き、走り続ける犬たちの息づかい。

どこまでも広がる雪原にポツリを建つ真っ赤な校舎。

狩りや漁労と、自給自足の生活を送る老イヌイットとその孫たちの営み。

過酷だが、そこには贅沢な静けさと地に足ついた生活の喜びがあった。

オーロラは、死者と生者をつなぐ神聖なもの。

真夜中、口笛を吹いたらオーロラが追いかけてきてどこかへ連れて行かれる。

この言い伝えを聞いていたアンダースが、小さく口笛を吹いた後の表情が

コラルデ監督のカメラに撮られている。ふたりの人となりを感じる名シーンだ。

ちなみにアンダースは、その地で教師を続けているとクレジットされていた。

映画のファースト画面とラスト画面が酷似していること、見逃さないでほしい。

ファースト画面は、フィヨルドの俯瞰写真のようだった。

凍てついた道が四方に伸びる、観光用ポスターか?

生命をつかさどる血管のようにも見えた。

脈々と伸びる生命線のような力強さ。。。

今思うと、冒頭で話した、飛行機から真下を眺めた図にも似ていた。

やはり、そこにも暮らしがあった。

約一時間半、デトックスにもなる人生のお手本映画でもある。

こちらは愛犬家にもお勧めできる映画である。笑

(武茂孝志)

『隣の影』

7月27日より、ユーロスペースほかにてロードショー

監督・脚本:ハーフシュテイン・グンナル・シーグルズソン/出演:ステインソウル・フロアル・ステインソウルソン、エッダ・ビヨルグヴィンズドッテル、シグルヅール・シーグルヨンソン、ラウラ・ヨハナ・ヨンズドッテル

2017年/アイスランド・デンマーク・ポーランド・ドイツ/カラー/DCP/89分/配給:ブロードウェイ

2017(C)Netop Films. Profile Pictures. Madants

『北の果ての小さな村で』

7月27日より、シネスイッチ銀座ほかにてロードショー

監督・撮影・脚本:サミュエル・コラルデ 脚本:カトリーヌ・パイエ 音楽:エルワン・シャンドン プロデューサー:グレゴワール・ドゥバイ

出演:アンダース・ヴィーデゴー、アサー・ボアセン、チニツキラーク村の人々

2017 年/フランス/グリーンランド語、デンマーク語/94 分/カラー/5.1ch/1:2.39/原題:Une année polaire(英題:A POLAR YEAR)/字幕翻訳:伊勢田京子

配給:ザジフィルムズ © 2018 Geko Films and France 3 Cinema