(C) Sixteen Films Ltd, Why Not Productions S.A., Wild Bunch S.A.,France 2 Cinema, Urania Pictures, Les Films du Fleuve,Tornasol Films S.A, Alta Produccion S.L.U.MMX一度、解き放たれた野性の本能を、人は抑えることはできないのか。リヴァプールの裏町に巣食う3本足の野良犬は、心の欠落を抱えて世を彷徨うファーガスさながらだ。“兄弟同然”に育った親友フランキーの死の真相をめぐって、憎悪に駆られるまま元同僚のネルソンを拷問するとき、ファーガスの表情には冷酷な兵士の本性が甦る。

元来、血の気が多いとはいえ、紛争の渦中で視力を失った友をからかった相手に喧嘩を挑むファーガスは、決して悪人というわけではない。むしろ正義漢と見てもいい。フランキーの“戦死”を「名もなき英雄」と美化して、その死の原因を「悪い時に、悪い場所にいただけ」と誤魔化す傭兵会社の上司に喰ってかかるとき、それは真実を知りたいと切望する遺族の心情を代弁する程に、ファーガスはフランキーの家族からの信頼も厚かった。貧しく、満足な教育も受けていない彼が、手っ取り早く大金を稼ぐためには、紛争の真ん中に飛び込んで傭兵となるのが最短の道だったというだけだ。

しかし、原形を留めないフランキーの遺体が収められた棺が眠る教会で、ファーガスと顔を合わせた未亡人のレイチェルには怒りと絶望しかもたらさない。夫を紛争の世界に引きずり込んだのは、他ならぬファーガスだったからだ。

監督ケン・ローチは、地元マージー川を往くフェリーの船上で未来の夢を語りあう少年時代のフランキーとファーガスを、粒子の粗い映像によってノスタルジックに回想させる。外国への夢を語ったふたりは、まさか将来、傭兵として海を渡るとは想像もつかなかっただろう。それは希望や歓びとは無縁な、生と死が紙一重の非情な現実に、毅然と対峙することになる。それは情緒に流されがちな人の心を押し殺すことだ。

川沿いの眺望が広がるファーガスのモダンな新興住宅に、傭兵として稼ぎあげた現在の彼の富は推察できる。しかし、その人の温もりを感じさせない殺風景な装いに、大金が彼の心まで満たしてはいないことも明らかだ。幼い頃から、フランキーと人生を“共有”して生きてきたファーガスの肌には、レイチェルの名前が彫られている。彼もまた秘かに親友の妻に恋をしていたのだろうか。
「悪い時に、悪い場所」。それはフランキーではなく、彼からの最期の叫びが響くメッセージを、留置所にいて受け取ることのできなかったファーガス自身だ。その後悔が、彼を野獣に変える。

フランキーの“事故死”をめぐって、ファーガスは彼なりの“遣り方”で落とし前をつけようとするが、彼はすでに正気を失っている。裏付けのない確信と無理強いされた供述によって、ネルソンに非情なまでの拷問を加え、法を無視して私刑に及ぶファーガスは、イラクで狼藉の限りを尽くす兵士たちと、もはや差異はない。

フランキーは極限の中で、最期まで保ち続けた人間性ゆえに、その生命を失ったといっても過言ではない。そんな“真実”を前に、血に染まった我が腕で、ファーガスは再び親友の忘れ形見をかき抱くことはできない。

時はめぐり、社会がうつろうとも、マージー川は変わることなくとうとうと流れ続ける。フェリーのデッキでファーガスは、川面に向かってこう呟く。「昔の自分に戻りたい」。ケン・ローチが糾弾するのは、暴走したファーガスの罪ではない。今なお終息の気配を見せない中東の紛争、そして人の心に癒しがたい傷を刻む戦いそのものだ。ファーガスもまたその犠牲者のひとりなのだ。自責という煉獄に囚われたファーガスを静かに安寧へと旅立たせるのは、大義名分の偽りの正義に対して憤怒を露わにするケン・ローチのせめてもの優しさだと私は感じる。
(増田統)

ルート・アイリッシュ
2010年 イギリス/フランス/ベルギー/イタリア/スペイン映画/109分/監督:ケン・ローチ/出演:マーク・ウォーマック、アンドレア・ロウ、ジョン・ビショップ 、トレヴァー・ウィリアムズ、ジェフ・ベル、タリブ・ラスール、クレイグ・ランドバーグほか/配給:ロングライド
2012年3月下旬より、銀座テアトルシネマほか全国ロードショー
オフィシャルサイト http://www.route-irish.jp/