葛城事件 映画対談

赤堀雅秋監督の好評を博した『その夜の侍』に続く二作目の映画は、三浦友和主演の『葛城事件』です。マイホームを建て、妻と二人の息子を持ち、憧れの生活を手に入れたかに思えた家族。しかしその生活は崩壊の過程にあった。本作について、映画評論家の内海陽子さんと対談を行いました。

『葛城事件』は、もっとこの映画を理解したい、立ち向かいたいと思わせる映画

©2016『葛城事件』製作委員会
©2016『葛城事件』製作委員会
オライカート:葛城事件は、一つ一つのシーンが長く、じっくり見せる映画だと思いました。誰が見るか、誰を見るかで印象が変わる万華鏡のような映画だなと。

内海:私は長くは感じませんでした。画面から発する力がとても強く、「こっちを見て」と、とても主張してくるのです。それなのに見ていて気持ちいい。

一人ひとりの心理がわかりやすい。唯一わからないのが、田中麗奈演じる順子さんです、あのわからなさも含めて目が離せない。誰を見ても面白いし、光を放っています。物語が良く練られていて、役者さんがちゃんと飲み込んで演じていて、場面転換と省略。心理的な省略も含めて、省略が効いているから説得力があるんですよ。

オライカート:無駄がないのでしょうか。

内海;いえ、無駄はきっとあるんだと思うんですが、力強いのです。画面に訴求力があって、凄いものを見たなという気分にさせてくれます。気持ちいい意味で、高揚します。いい映画だけど、いやな気分になったな、ではなくその逆です。これが、私特有の言い方をすれば、”映画が上機嫌”なのです。

こちらから何かを奪わない。ちょっと力の入った勘違いした映画は、観客から奪うんですよ。エネルギーとか。体の調子が悪くなりそうとか言うように。そういう映画ってありますよね、あなたがほめていた『サウスポー』も、そういうところがなきにしもあらずですね。

オライカート:そうかもしれないですね。ちょっと力技的な映画ですからね。

内海:監督の思い込みや、主張やエゴイズムが映画の力になっている場合、観客はそこから何かを奪われるような気分になる場合があるんですよ。『葛城事件』は、そうなりかねない映画なのに、奪われないんですよ。そのまま入ってきて、もっとこの映画を理解したい、この映画に立ち向かいたい、というような前向きの気持ちにしてくれるんですよ。

むしろ、こちらのエネルギーを掻き立てるんです。それが私にとっての優れた映画です。赤堀監督の前作の『その夜の侍』はそうではない。どちらかというと奪われる感じでした。

『葛城事件』は、いやな話ばっかりを描いて、こちらの気を引こうとするような映画ではないんです。こちらを挑発しない。ネタとしてとても自信があるのではないかということと、能力ですね。鍛えて鍛えて二作目がんばるぞ、一発屋では終わらないぞというところですね。

三浦友和には主演男優賞を推したい

©2016『葛城事件』製作委員会
©2016『葛城事件』製作委員会

内海:ポイントは主演の三浦友和です。この人が主演でなかったら、長くてきつくてつらい映画になったかもしれない。熱演型ではないんです。お父さんの心理をずっと見ていって、寄り添っていく。

オライカート:華があるというという感じですね。

内海;いいえ、三浦友和はクールなんですよ。クールといっても冷たいということではなく、俯瞰してみるということです。俯瞰というのは演出の仕事ではありますが、役者さんも俯瞰することで他の役者さんとのやり取りをひけらかさずに見せる人ではないかと思います。

今までも三浦友和さんの映画は拝見してきましたが、今回は本当に素晴らしいと思いました。今までは、主役をやってきていても突込みが浅いというか、遠慮があるような気がしていました。今回はその遠慮の部分を演出が引っ込めたかどうかはわかりませんが、

今年の主演男優賞を推すとしたら、『ロクヨン』の佐藤浩市さんや永瀬正敏も推したいのですが、この三浦友和も推したいですね。映画賞や監督賞は、違うかもしれませんが、それぐらい今回の演技は高度でクールでした。

通り魔犯罪などの凶悪事件をニュースで目にするたびに、この人はどういう家庭に育ったのか、何を考えているのかな、と思いますが、その理解も深まりました。もちろん、親のせいでもなく、ああいう人が生まれてしまうんだな、育ってしまう人もいるんだな、そういうあきらめというか、人間の成り立ちの不思議さ、みたいなものを感じます。

物見高い気持ちでああいう事件を起こす人とか、こうなってしまった家庭って、なんだかなあなんて思うじゃないですか。でも簡単には言い切れない、独特な家族というか、乗り越えなければならないものもあるんだなあって思いましたね。

ああいう状況でも素直に育つ子もいるし、お父さんがちょっとぐらい横暴だって、悪いお父さんではないわけなのだし、家族を守ろうと暴君になるのは昔は当たり前だった。家族の中にはいろいろあるし、ああいうお父さんに対してとても理解が深まって、家族の中の問題などに少し謙虚な気持ちになりました。そして今私がここに、まあまあわりと穏やかにいられるのは、運がよかったのだと思いますね。

凶悪犯罪を起こした子供の「こういう親」

葛城事件の画像
©2016『葛城事件』製作委員会

オライカート:ずっと一緒に暮らしてきたのに、奥さんとだんなさんの関係が、徐々に壊れてしまいます。同時に親と子供の関係もです。関係が壊れていくのを止められなかったのかということを考えてしまいますね。

内海:それができるくらいなら苦労はしないわけだし、誰かの力で何とかなるという話ではないのです。お父さんが、みかんの木を植えますが、それで願ったわけです、結果では、横暴で家族に嫌われる親になってしまいますが、お父さんは悪人ではありません。くせはあるけれど、どんな家だって、完璧なお父さんなんているわけないし。

それぞれ癖はあるけれど、子供は納得して、お父さんはこんなだけれど、いいところもあるし、おれたちはおれたちでこうやってやっていくしかない。と、子供はどこかで納得しているわけですけれど、子供がちゃんと育つということは、誰かが何かをしてあげるとかではなく、その子が獲得するものなのだと思います。

お母さんはお父さんに依存しすぎていたんではないかと思いますね。お父さんのいうとおりにしていれば、長男はすくすく育つし、次男はダメじゃないかといいながら、お兄ちゃんと比べつつ、次男も奮起して伸びてくるかと思いきや、ならなかった、

わりとうまくいっている家庭では、片方が厳しければ片方がやさしいというような辛口と甘口の両方があって、場面場面でなめらかにいくのが、わりと幸せな家庭なのではないかと思いますが。

この家庭のお母さんは、よくできる兄よりも出来の悪い弟を可愛がるような面があって、わがままを許してしまう。そういうことが重なっていって、次男は過激なまでに「俺は必ず成功する、一発逆転してやるから」と。その傲慢さを育てたのはお母さんではないか。

オライカート:歯車がずれていく理由は明らかではないですね。

内海:というか理由はないのです。だからどの家庭でも起こる得る。このような凶悪犯罪が起きたとき、その人はどんな家庭に育ったのだろうという疑問に、「こういう親です」というようにお父さんが出てきて、お父さんを中心にいろいろな人間関係が描かれています。

お父さんは多少癖はあるものの、普通に生きていた。でもこうなってしまう。というお話で、だから怖いし、同情ではないけれど、共感を感じるんですよ。生きていかなくてはならないから、おそばを食べる。

あの家は特別な家だったんじゃなの、ってみんなは思うけれど、そんなに特別な家じゃなかったんだな、というオチだと思います。だから悲しいんですよ。私は共感を覚えますね。何で俺が。おれだって被害者なんだっていうのもいいですしね。あやまったようであやまっていないとかね。

人間は単色では描けない

葛城事件の画像
©2016『葛城事件』製作委員会

オライカート;この作品のキャラクターは、どの人もすごく日常的で普通じゃないですか。次男にしても、「(今まで俺はダメだったけれど)一発逆転してやるぞ」というような心理は、誰でも私でも多少はある様なものだと思います。ですから、起こした事件と彼自身があまり結びつかないんですよ。彼がいて、事件があって、それぞれが別にあるような。

内海:妙に関連付けないところですね。次男の稔が、自己分析をしているせりふがあります。狂ったイノシシの話をするところですが。狂ったイノシシに遭遇して、それで被害にあったら、それは事故だろ? というのです。今回のことだって事故だと思えばいいじゃない、というのです。だからといって自分を正当化するわけじゃなく、「俺はクソみたいな人間です」とも言っているのです。

そのあたりが、人間の持つ多面性や計り知れなさ。それを端的にわかりやすく表現しているなと思います。正当化させてしまうと一面的なものにしてしまいますが。

オライカート:あの長台詞のところですが、ふっと、救いがあって欲しい。みんながいい方向に行って欲しいと見ていて思うんです。それから、この映画は、母にとっては悪夢の映画です。母として一番あってはならないことを描いているんです。自分がこの世に生み出した命が他の命を奪うなんて。映画の中の母の行く末はすごく納得がいくし、悪夢の只中にあったらこうなるほかないんだなと思いました。

内海:プレスシートの中で母を演じた南果歩がこう書いています。「赤堀監督の、人間の心を単色で表現することはできないという誠実で挑戦的な演出は、今後の私の仕事の中でもずっと生き続けるに違いない」

そういうことなんです。観客の想像力や観客の体験など蓄積したものに頼らざる得ないというのは、ある意味わかりにくいところもありますが、観客を信頼している映画だと思います。そういう仕事は尊敬に値します。

映画の中で一から十までこと細かく説明/解説することもできますが、そういう映画ではないのです。人間は一瞬一瞬決断していますが、その一瞬の選択を間違え、それを繰り返すことでこういうこともおこりかねないということを描いているのではないでしょうか。

内海陽子オライカート昌子

葛城事件
6月18日(土)より新宿バルト9他全国公開
監督/脚本:赤堀雅秋
出演:三浦友和、南果歩、新井浩文、若葉竜也、田中麗奈ほか
日本/120分/配給:ファントム・フィルム/PG12
公式HP:http://katsuragi-jiken.com/